yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽生結弦選手、SPの演技@2016年世界フィギュアスケート選手権

曲が始まる。うつむいて精神を集中させる。かすかに震える睫毛。美しい。滑り出す。腕を広げるそのポスチャーもただ美しい。腕を上にあげた後のジャンプへのつなぎも滑らか。完璧に音楽と一体化している。一切の無駄な動きを排除した滑らかさ、そして優雅さ。両腕を上にあげた姿はまるでバレエのそれ。美しい。回転での身体のひねりには哀しいほどの情感が立ち込める。それからのジャンプへの「移動」も自然でただ優雅。

スピンはまるで鶴が舞っているよう。身体の角度は美そのもの。全く雑味がない。ありえないほどの完成度。

序破急の「急」に当たる曲の後半部が始まる。いやます速度。激しさ。それに合わせて、スピンもより速く、激しいものに転じて行く。ここからは内からこみ上げてくる激情の吐露。ジャンプはその激情の幅を示している。それに沿って、結弦さんの動きもより加速度がついてゆく。まるで天上からメデイア(霊媒者)が降りてきて、彼に乗り移ったかのよう。能のシテの舞をも思わせる。憑依された身体。その身体が表象するこの世ならぬもの。激しい動きによって、この世ならぬものの声を必死で表そうとする演者=メディア、羽生結弦。身体の動きは正確に激情の振幅を追っている。そして最後のスピン。終焉。やっと鎮められた過激な、そして過剰なまでのパッション。

一つのドラマが終焉した。霊は鎮めれられた。メディアとしての羽生結弦もやっとその務めを終えた。そんな気を抱かせる劇的なパフォーマンス。まるで人間業を超えた完璧なパフォーマンス。この完成度の高さは(私の中では)NHK杯、バルセロナでのグランプリファイナルを超えていた。曲の解釈とそれを演技に結びつけた完成度の高さ。まさに異次元的。

ライブ映像は以下のサイトで見られる。
http://skating.livedoor.biz/archives/51949246.html