yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『Evening at the Talk House』@英国ナショナルシアターNational Theatre 11月23日

以下がキャスト。サイトにリンクしておく

• Nellie
Anna Calder-Marshall
• Robert
Josh Hamilton
• Jane
Sinéad Matthews
• Ted
Stuart Milligan
• Bill
Joseph Mydell
• Dick
Wallace Shawn
• Tom
Simon Shepherd
• Annette
Naomi Wirthner

この劇の作者、Wallace Shawnみずからが登場人物として出て来る。舞台監督はIan Rickson。Shawnは何か映画で見た記憶が。思いだせないけど。でもユニークな風貌で、一度みたら忘れられないだろう。

まず全体として、まとまりがなかった。終わってからトイレに行ったら、劇通と思われる中年女性が話しかけて来た。ナショナルシアターで今まで観てきた中で、いちばん面白くなかった」とおっしゃっていた。「I don’t know what, but something is missing」とのこと。同感。

昔の演劇仲間たちがあつまり、懐旧談で盛り上がるという設定。それだけでかなりワクワクさせる。劇作家、音楽担当者、演出家、舞台俳優、演劇ではぱっとしなかったけどテレビで成功した俳優といった面々。予想通り、それぞれの当時の記憶、今の思惑、現在の状況への不満。それらが当人掛ける(×)それ以外の関係者六人という、複雑な方程式になる。もちろん記憶、印象、理解、判断すべてが各人で異なり、またずれているから、カオス状態。ホステス役のネリー、そのアシスタントのジェインのみが中立的立場。彼女たちのホスピタリティは報われない。なぜなら、パーティに招待された人物たちは、互いに罵り合い、批判しあい、それが延々と続くから。人物ひとりひとり、彼らが普段は抑圧している思いが、酒の力、そして互いの化学反応で噴き出し、交錯する。「賞賛」のことばがやがては皮肉に、批判へ、そして痛罵へと変わってゆく。その核になっているのがアル中のディック。この名前そのものが失笑を買ってしまうという人物。彼が喚き立てながら登場した段階から、化学反応がより増幅されてゆく仕組み。

カオスが納まらないまま終焉するのだけど、ヤッパリ見ている側としては「えっ?」となってしまう。期待を裏切るのが劇の狙いといってしまえばそれまでなんですけどね。ウェストエンドの小屋では、かからないはず。劇的クライマックスがないから受けないだろう。この点で日本の新劇と大衆演劇のそれぞれの作劇法の対比があてはまるかも。

最初にナレーターとしてロバートが登場。パーティにやって来ている人物ひとりひとりをかなり「独善的」に紹介する。このまま彼がナレーターとしてあり続けるのかと思うと、そのあとは他の登場人物に混じり、その一員となってしまう。ナレーションはそれにて終了。これはナイでしょ?彼の毒舌が終始ナレーションを担うことで、他の人物間の絡みももっと立ち上がってくるし、何よりも「What's the point?」と観客をがっかりさせることもなかったのでは?せっかくの作劇deviceが活かせていなかった。

これを含めて、おもしろくなかった原因の一つは作家自身にあるような気がする。かなり高踏派をめざしていたのだろう。たとえばベケットなどのような?でもこういういわゆるリアリズム劇だとそれはかなり難しい。リアリズム劇として成功させるには、イギリス的なウィットというか諧謔精神をもっと入れ込まないと。さりげなく隠された皮肉、そしてユーモアがイギリス演劇の魂だと思う。その点が欠けていたというか、薄かった。彼の来歴をみるとニューヨーク生まれで、アメリカの映画、テレビで活躍してきたとあったので、なるほどと納得した。