yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ユージン・オニール原作『夜への長い旅路』@梅田芸術劇場9月26日初日

全二幕だったのだけど、第一幕はちょっと辟易、二幕目はパスしようかと思ったほど。それが帰る時には涙が止まらなくて困った。

以下がチラシ。

劇作家ユージン・オニールが自分の死後に発表するよう「指示」していたという作品。自身の父母と兄との関係がそのまま戯曲化されていて、それがあまりにも生々しくも痛ましい。以下に梅田芸術劇場のサイトからの作品概説を引用する。

ある夏の1日の家族の物語・・・
20世紀のアメリカが生んだ偉大な劇作家でありノーベル賞作家でもあるユージン・オニール作の戯曲。

自身の凄まじい家族関係を赤裸々に描き、演劇史上最高の自伝劇と言われている作品です。本作品はオニールの死後に発表され、4度目となるピュリッツアー賞を受賞しました。

登場人物は、かつてシェイクスピア俳優であったが近年は金のために商業演劇で同じ役ばかりを演じている夫ジェイムズと麻薬中毒の妻メアリー、酒に溺れ自堕落な生活を送る兄ジェイミーと肺結核に冒された弟エドマンド(オニール自身)の家族4人。ある夏の一日の、激しく、切ない家族の物語。

さらに同サイトから初日レポートを。

初日レポート
いつ果てるともない、壮絶な4人家族のいさかいの記録である。妻メアリー(麻実れい)、長男ジェイミー(田中圭)、次男エドマンド(満島真之介)、夫ジェイムズ(益岡徹)の家族4人が、ののしり、和解し、また傷つけ合う。言葉の応酬だけでなく、役者同士、身体の接触を最大限に使う。熊林弘高の演出にはおなじみの風景だ。 鼻が触れ合う距離で怒鳴りあう。つかみ合い、相手をねじふせる。抱擁する。頬に唇を寄せる。舞台のラスト、暗闇に消えていく、妻メアリーの長く哀しいモノローグが語るもの。それは、この家族の絆の本当の崩壊か、それとも、再生の予感か。客席のひとりひとりが、大切な人のことを考えながら帰り道につく、そんな舞台だった。

そして以下にスタッフ詳細。

作 ユージン・オニール

翻訳・台本 木内宏昌

演出 熊林弘高

スタッフ 美術/島 次郎 照明/笠原俊幸 音響/長野朋美 衣装/原まさみ ヘアメイク/鎌田直樹 舞台監督/増田裕幸

出演 麻実れい 田中圭 満島真之介 益岡徹

まず何よりも演出が良かった。翻訳劇でこのレベルにするのがいかに大仕事だったのか、想像に難くない。

家族間の確執をテーマにしているのは、サム・シェパード等との共通点を強く感じる。家族間の確執がいくら万国共通のテーマだとはいえ、ここにみられるエネルギーレベルは、一見穏やかな家族関係に身を置いて来た(であろう)日本人の理解を超えているように感じる。エネルギーを形にするあの畳み込むような台詞の量!大きなうねりになって、こちらに襲いかかってくる。オニールよりもずっと時代の下ったサム・シェパードにも、それが継承されているのが分かる。こういう演劇を日本の舞台に日本人キャストで上げるのは、かなりの冒険だったと思う。

オニール作品には父母がアイルランド出身だったというだけあって、ケルト文学のエッセンスが詰まっているように思う。この作品もアイルランド最高の作家、ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』(1922)を連想させる。そういえばこのウルトラ級に難解な小説の中の時間もギリシア劇に則った「一日」だった。途中で読むのを放棄した私が言及するのはおこがましいけれど。欧米の観客にはこういう背景が透けて見えてくるんだろうけど、日本の観客にはあまりピンと来ない。それでも劇場内に張詰めた緊張感があったのは、やっぱり演出が良かったからだし、「家族」が普遍的なテーマであるからだろう。

第一幕目にうんざりしたのは、翻訳調が払拭できない台詞だった。たしかにアメリカというか英米演劇の台詞の量は日本人からみると異様なほど多いし、「厚い」。意訳でいいし、もとの脚本に「忠実」である必要もないから、もうすこし「理屈っぽさ」を減じて欲しいと感じた。それはやはり日本的な「阿吽の呼吸」を期待するからなんでしょうね。肉食系と草食系の差異というべきか。この間のギャップは埋め難い。翻訳劇の難しさ。

劇中の時間が朝から夜までの一日というギリシア悲劇の体裁を採っているなんていうのも、西洋演劇になじみのない私たちにはピンとこないかもしれない。ニーチェへの言及が劇中にあるけれど、それは当然ギリシア悲劇を連想させる。さらに読みこめば、ソフォクレスの一連の悲劇をも。もっと読みこめば、ライオス王一家の家族間の葛藤が浮き上がる。あのエディプス・コンプレックスも。

家族は愛し合い、睦み合っているものなんていうのは幻想。凄まじいまでの愛憎の確執劇が繰り広げられる場が家族。互いが鏡像となり、それが愛おしくもあり疎ましくもある。慕わしくもありおぞましくもある。その相反する感情が赤裸々にぶつかり合う場、それが家族。生温い日本的な家族観とは決定的に一線を画する。私はこちらの方によりリアリティを感じてしまう。

この一筋縄では行かない舞台。俳優たちー−麻実れい、田中圭、満島真之介、益岡徹−−は最大限説得力のある舞台にしていた。特に良かったのは長男のジェイミー役の田中圭と次男エドモンド役の満島真之介の床を転げ回っての絡み、台詞の応酬。兄弟間の愛情、妬み、嫉み、怒りといった矛盾に満ちた感情がここに「ぶちこまれて」いた。胸に迫った。