yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

羽生結弦さんのおかげでTwitter再開

長らく放置していたTwitterを再開することにした。というのも、私がこのダイアリーに書いた羽生結弦選手の記事について、多くのtweetをいただいたから。うれしかった!目の前に大きな青空が広がったような、そんな感じがした。ありがとうございます。羽生結弦さんを通しての新たなつながり、心が躍ります。みなさんがどれだけ彼を愛しておられるのかが、よく分かります。私も同じ思いですから。

技術的に優れた選手はいただろうし、これからも出るだろう。でも魂のレベルで彼の域に到達出来る人は出ないだろう。それくらい、衝撃的だった。ぶつかった時に倒れた自分自身に向かって彼が言ったという、「かっこわるい」ということば、胸にきつく堪えた。「アーティストとしての羽生結弦」がそのことばから立ち上がってきたから。美に対する信仰ともいえる彼の強い思いも露わになった。

例のNHKのExhibitionのフィルム取りのとき、振付け師と打ち合わせる彼のことばは、さらに詩人としての彼を彷彿とさせるものだった。最後に手にするあの一輪の花を「この子」って呼んだんですよね。映像では愛おしげにその花を胸に抱く彼の姿が映っている。あの表情!もうたまりません。日に一度はyoutubeで観ています。バカみたいに泣いています。

美の求道者といったら、彼には負担になるかもしれない。なんといってもまだ二十歳の男の子なんだもの。でもこのいっとき、それを具現化してくれたこと、感謝しても感謝し足りない。この感動。どれほど多くの人の心を癒したことか。

「花は咲く」の詞も曲も、そして歌い手の指田郁也もすばらしい。歌詞を深く理解、解釈し、そしてそれを演技として魅せてくれた羽生結弦さんという人、さらにすばらしい。一個の哲学者。もうこの世を超えた人に思えて、ちょっと不安になる。だから退院されたと知り、安心した。あの繊細さ!図太さ、したたかさに裏打ちされればいいんでしょうけど、それだったら「羽生結弦」じゃなくなちゃうんですよね。苦しいところ。

『覚醒の時』をあの記事を書いたあとに買ったのだが、まだ観ていない。雑事を排して、集中して観たい。