yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

暗黒舞踏(BUTOH) のビデオ展示 @ニューヨーク近代美術館 MoMA 5月17日

土曜日なのでそれなりにこちらも混んでいることは予想されたMoMAに出かけた。10時半の開館前に行ったのに、すでに長蛇の列。なんと100人を超えていた。入館してからも延々と待たされた。以下がその写真。ぴんぼけですけど。

エレベーター前で衝撃的な映像に出くわした。これはこの旅行の収穫のいちばんかもしれない。なんと、土方巽演出の「暗黒舞踏」の一公演分映像を40インチ程度のスクリーンで流していた。ただ演じていたのは土方のお弟子さんだった。私は残念なことに土方もその舞踏もみたことがない。だから非常に興味深かった。60分程度のものだったけど、結局最後まで観てしまった。とにかく目が離せなくなるほどの得体のしれない魅力があった。ビデオを写真に撮ったのだけど、かなりぼけている。

まず、作品の展示説明。

暗黒舞踏の典型的?舞踊。

土方巽の「暗黒舞踏」についてのWikiの紹介は以下。

1962年からは、グループ音楽、フィルム・アンデパンダン、ハイレッド・センターなど他の前衛グループとのコラボレーションもさかんに行われ、音楽や美術作品、映画の撮影者を含めた総合芸術的なスタイルを取った。1966年7月に「暗黒舞踏派解散公演」を行い、暗黒舞踏派は解散した。しかし土方一派の舞踊活動自体は1966年以降も途切れることなく続いた。舞踊界への「反逆」ともいえる試みは、話題を呼び、加藤郁乎、澁澤龍彦、瀧口修造、埴谷雄高、三島由紀夫などの作家は暗黒舞踏に魅了され、土方とともに舞台にまであがるほどだったが、正統的な舞踊界からは異端視・蔑視され、「剃髪、白塗り、裸体、野蛮、60年代日本の突然変異ダンス、テクニックのない素人の情念の踊り」と思われるだけの存在だった

三島由紀夫邸には土方もよく出入りしてたという。日本での評価はもう一つだったけど、アメリカでは熱心なファンがいて(もっともそれは誤解の上に立ったものが多かったけど)、私の博士課程の同期生のB(今はUMassの専任教授らしい)のテーマがこれだった。でも資料があまりないと嘆いていたっけ。想像するに、土方は自分の公演をアーカイブ化することに熱心ではなかったのでのかも。上の映像はそんな状況の中、1976年にMoMAに寄贈された映像だという。貴重である。エレベータ前に展示されていた他の映像もすべてそれぞれのアーティストの寄贈らしい。どれもが前衛パフォーマンスを録画したものだった。こんな貴重な作品をみずに通り過ぎてしまう人がほとんどだったのが、残念だった。

余談になるが、MoMAは2年前から日本のビデオゲームの収蔵をスタートさせたという。毀誉褒貶はあるにしても、英断だと思う。先見性に富んだ優れたキュレータを抱えているのだ。ちなみにパオラ・アントネッリという人らしい。勇気ある決断。さすがMoMA。

革新的な作品のコレクションという点ではこの日もいくつかの特別展が開かれていた。ひとつはゴーギャンのタヒチ滞在に特化した作品群。それもあまり有名でないものの展示。もう一つはジグマー・ポルケという女流芸術家のの特別展。三次元を取り込んだ実験的、革命的絵画、プリント、彫刻、そして映像のコラボだった。2010年に47歳で亡くなっている。