yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

神戸市立医療センター中央市民病院

以前の中央市民病院がこういう名称になっていた。しかも最新鋭の設備を備えたウルトラモダンな建物。すべてがコンピューターによる管理体制になっていた!

NYのアメリカン・バレエ・シアター(ABT) の『ドン・キホーテ』を観ている最中に左手に鈍い痺れ感があり、数時間で消えたのだけど心配で、帰国後検査に出かけた。3年前にも同じような症状でこの病院にかかっている。そのときはMRIをとって、頸椎に少し異常があるといわれた。治療するほどひどくはなかったのだろう。すっかり忘れていたのだけど、突然また起きた。ホント、忘れた頃にやってくるんですね。帰国した翌日の23日、朝8時30分の開院とともにかけこんだのに、予約外ということで時間がかかり、終わったのは1時過ぎ。以前の医師ではなく、ずっと若いお医者さま。またもやMRIをとる羽目になった。各科の名称も変って、以前の脳神経科は脳神経内科になっていた。

病院にかかるなんて3年ぶりなのでそれだけでもかなりストレスなのに、診察前に血圧を計れという指示。仕方なく、診察室前の血圧計で計ったら、辞める前の駆け込みで3月に受けた人間ドックの数値よりもずっと低い121/68と出た。このドックでの評価、血圧のみが正常値でなかったので(あとほとんどが優良だった)、いたくプライドが傷ついて(?)いた。でも、驚いた。やる気のない学生に英語を教えることがいかにストレスになっていたかがよーく分かった。辞めて正解だったと、つくづく思った。この1月に癌で亡くなられた前の学部長の病の元もこういうストレスだったんでしょう。真面目な方だったから。私はそれほど真面目ではないけど、でも◯◯長なんていうやりたくない仕事を押し付けられて、限界状況だった。その上学生の意欲も低く、教える喜びが殆どない状態だった。それらが知らず知らずのうちに身体に来ていたのだろう。ぎりぎりセーフという感じがした。