yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『喧嘩纏』都若丸劇団@明生座7月25日昼の部

じりじりと照りつける太陽に、身体が溶け出してしまいそうだった。役者さんの乗っている舞台は、さぞ暑いんでしょうね。客席は冷房が効いているけれど、舞台上は照明の熱で、猛烈な温度になっているのに違いない。

「熱い」といえば、若丸さんの劇団はいつも熱い。客はおかげさまで、これ以上はないほどの熱い舞台を(冷房の中で)楽しんで、カタルシスを得、すっきりとした気持ちで帰ることができる。

芝居、そして舞踊の着想、構成、演出のレベルの高さ!他のどの劇団の追随をも許さない。商業劇場系、小劇場系のものと比べても、遜色があるどころかはるかに凌駕している。そのオールマイティ度は最強である。某掲示板にいろいろと書かれているようだけど、あれはすべてヤッカミだろう。それにしてもあの掲示板にある「若丸批判」のレベルの低さ!日本語は「小学生並」にも及ばない。品性の卑しさ、浅ましさ。教養のなさ。底辺に生息している芥の類いだろう。きちんとした眼で(客観的に)みれば、この劇団の、なによりも若丸座長の突出した優れた舞台作りは、どんな鈍感な人間をも感動させるものである。それでいささかも感動しないというならば、そういう人は、頭脳に、なによりも情緒面で欠陥があると、みずから告白しているようなものである。おそらく日本語を正しく読み取ったり、書いたりすることが出来ないのだろう。もう一度小学校からやり直した方がいいのでは?それと情緒面をもっとカルティヴェイトしてください。まあ、おのれを「劣った人種」とおおっぴらに露呈させても恥ともおもわない人種なんでしょうね。唾棄するしかないだろう。

今日のお芝居はめずらしく「悲劇」だった。大衆演劇の、とくに九州系の劇団のこの手の芝居は、けっこう主要な劇団ででもお涙頂戴の、およそ洗練とはほど遠いもの、そして現代とは隔絶したものが多い。だから大抵はパスである。でも今日は(昨日の「予告」で悲劇と判っていたのだが)仕方なく観ることにした。でもさすが若丸さん、至極アッサリと片付けてくれたので、ほっとした。彼のやり方はハイライト部分をかなり長く、強く演出するのだが、今回もその例にもれなかった。腕を火事奉行に斬り落とされたあとの場面がそれに当たる。でもそこでも、いわゆるセンチメンタルな要素は排されていた。これが若丸流。きちんと客席との距離をとりつつ、「暴走」あるいは「独走」を控えたものだった。感情移入を極力抑えていた。

種本は文化2年に芝神明社で起きた「め組の喧嘩」事件を題材とした歌舞伎、『め組の喧嘩』(『神明恵和合取組』)である。Wikiによれば、原作は竹柴基水。ただし、三幕目は河竹黙阿弥が補筆したという。これからみればもとは四幕仕立ての長い芝居だったようである。江戸生世話ものとして演出するのが習いだった。五代目菊五郎が凝った作りに仕上げたとある。最近では先ほど亡くなった勘三郎が「平成歌舞伎」で演出、主演したようだ。

こういうの、すべて判った上で、1時間の枠に納めるように工夫したのが今日の芝居だった。これだけでも若丸さんの知的レベル、センスのよさが即座に判るというものである。同じくWikiに面白い評が出ていた。それは二代目松緑が語ったというこの芝居の分析である。それは以下。

「江戸っ子の喧嘩ですから、ハラも何んもないもので、どっちかといえば辰五郎の場合なんか、あんまりハラがあってはいけないんです。これはむしろ形のもので、粋に粋に、という行き方できてるんですね」

もっとも、この若丸バージョンでは『め組の喧嘩』とは内容がかなり変えられていた。歌舞伎版では辰五郎が「いさみの六蔵」の役内容だった。また、喧嘩は喧嘩でも、力士が絡んだ喧嘩になっていた。若丸版では、歌舞伎版にはあった「力士絡みの喧嘩」の要素はまったく排されていた。

松緑の批評にある辰五郎と比べれば、若丸辰五郎はいささか「ハラがあった」かもしれない。それは当然だろう。時代が違う、観客が違うから。現代の状況に合わせて演出したのが、若丸版ということになる。

筋としては、『幡随長兵衛』と似ていた。江戸期には火消しは「江戸の華」、ヒーローだったわけで、その点でもの作品の主人公、いさみの六蔵と町奴の長兵衛との共通点が見いだせる。また、幡随院長兵衛の場合、彼をだまし討ちにしたのは旗本奴の水野十郎左衛門だったのだが、この話の場合は火事奉行ということになっていた。

いくつかの改編は大衆演劇にあうように変えられたもので、筋も簡略化されていた。そのおかげというべきか、誰にでも理解できる筋になっていて、それはそれで大衆演劇の王道を行ったことになる。

舞踊で感動したのが、座長が踊った、『果たされなかった約束』。吉幾三さんの歌で、全編東北弁。薄幸な女性の生涯を綴ったものである。まるでその女性の霊が取り憑いたかのように、鬼気迫る踊りだった。