以下、「歌舞伎美人」からの配役、みどころを。
配役
左官長兵衛 菊五郎
女房お兼 時蔵
鳶頭伊兵衛 松緑
和泉屋手代文七 梅枝
娘お久 尾上右近
角海老手代藤助 團蔵
和泉屋清兵衛 左團次
角海老女将お駒 玉三郎みどころ
◆江戸っ子の義理と人情が溢れる名作
本所割下水に住む左官の長兵衛は腕の立つ職人ですが、大の博打好き。女房のお兼とはいつも喧嘩ばかりで、家の苦境を見かねた娘のお久は、自分が吉原に身を売って借金を返す決意をします。この孝行心に胸をうたれた妓楼角海老の女将お駒は長兵衛を呼び出し、お久のためにも心根を入れ替えて仕事に精を出すように諭し、五十両の金を渡します。孝行娘の想いにすっかり目が覚めた長兵衛は、大金を懐に家路に着きますが、その途中の大川端で、店の売上金を無くした申し訳なさから、身投げをしようとしている文七を見かけます。この窮状を見かねた長兵衛は…。
三遊亭円朝口演の人情噺をもとにした名作です。二世尾上松緑追善の心温まる世話物にご期待ください。
二世尾上松緑二十七回忌追善狂言」なのでもちろん孫の松緑は出ているが、重要な役どころではない。菊五郎と時蔵の夫婦の掛け合いでみせる芝居。大衆演劇でもしばしばかかるけれども、たいていこの路線。どう面白ろ、可笑しくみせるかは、各劇団の工夫にゆだねられている。よくあるのは、長兵衛が角海老の女将からもらった小判(額は20両だったり、30両だったりで、ここにあるような大枚50両ではない)を、持ち帰らなかったのをなんとかごまかそうとするその駆け引き。そのあと、もっていないことがばれたときのお兼の怒り。ここでたいていはお兼が長兵衛を叩くは、蹴るはの大騒動。この男/女逆転劇の面白さでみせる。さすが歌舞伎ではこの場面はない。あったらいいのになんて、思ってしまった。
大衆演劇では重点がおかれていないけど、歌舞伎ならではのものがあった。それは文七。もともとタイトルが「文七元結」なんだから、彼にライトが当たるのは当然。以前に勘三郎が長兵衛のこの作品を観たのだけど、誰が文七をやったのか、覚えていない。おそらく長兵衛の存在感があまりにも大きかったからだろう。今回の文七は存在感がアリアリ。さすが梅枝!滑稽味を出すのにみごとに成功。なんともおかしく、かわいかった。菊五郎と対等に渡り合って、秀逸。もちろん菊五郎もおみごとでしたけどね。梅枝ってこういうコミカルな役どころも上手いんですね。評価がまたまた上がった。お隣に座られた方たちが「この役者さん、だれ、だれ」って感じで、筋書きに当たっておられたので、思わず「梅枝です」って要らぬお世話のおせっかい介入をしてしまった。スミマセン。(何の関係もない)私が「誇らしげに言ってどうなんの?」なんですけど。この文七で、彼の「つっころばし」的な魅力も広く評価されるようになったに違いない。
そしてもう一人の若手女形の右近。お久をやったのだけど、なんか柄が大きく、おかしい。玉三郎のお駒と並ぶとなんかおかしい。長身の「美丈夫」ですからね。そういえば『天守物語』では玉三郎の富姫に対し、彼は亀姫を演じ、とてもよかったのを思い出した。当ブログ記事にしている。玉三郎と右近が同じ場に出ていると、『天守物語』のあの幻想的なシーンとこの世俗的なシーンとを引き比べ、くすっとなってしまう。こういうのも歌舞伎の醍醐味かも。
菊五郎も今までにこういう落語的などこまでも人のよい男を演じるのをみたことがなかったので、新鮮だった。勘三郎とはちょっと役作りというか、アプローチの仕方が違っていて、彼ならではの解釈がみえた。これもさすが!と感心した。感心といえば、時蔵のお兼もいい。この人が出ていると、舞台がしまる。それも玉三郎の場合と違い、どこかほんわかした感じが漂った「きりっ!」。とても安心感、安定感があるんですよね。それでいてほのかな色気もあって素敵です。
何か幸せな気分にしてくれるお芝居だった。この午前の部、11時に始まり終わったのが午後3時50分の長丁場。それでもあまり疲れを感じなかったのは、最後がこの芝居だったからだろう。このあと新橋演舞場に移動、4時半からの猿之助の『ワンピース』に出向いたのだけど、おかげさまで意気揚々と(用法おかしい?)出かけられた。