玉三郎丈、先月よりも少し痩せたようだった。細そりとした感じが今回の阿古屋の役に相応しい。なんでも今回の公演は「六波羅蜜寺開山1050年記念」の公演ということで、寺縁の演目が選ばれたようである。「阿古屋の琴責め」としてあまりにも有名な演目だが、なにしろ琴、三味線、それに胡弓を舞台上で弾かなくてはならないということで、六代目歌右衛門以来、それに挑戦する演者はいなかった。雀右衛門が唯一の例外。というわけで、これら3種の楽器が弾ける玉三郎ほどのはまり役はない。事実、観客の注目もそこに集中していたようである。
もちろんそういう「特技」の披露もすばらしかったが、それ以上に玉三郎の演出法に感心した。おそらく彼が「座頭」としてこの公演を仕切っていたと思われるが、その演出の斬新さに驚いた。「伝説」の域になっている歌右衛門を超えるには、こういう形しかなかったのだろうとも思う。そのチャレンジ精神に敬意をまず表したい。
雑な要素をすべて排して、エッセンスになるところだけを、この「兜軍紀」では「琴責めの場」になるのだが、抽出し、その場を最大限に見せるという手法である。その一点にすべてを集約させる。これは歌舞伎の従来のやり方とはまったく違った路線である。普通の歌舞伎の公演ではありえない。歌右衛門の「琴責め」もおそらくはそこまでの重要性を持たされてはいなかっただろう。そうなると、「兜軍紀」の構成要素の単なる一要素にすぎなくなってしまう。玉三郎が選んだのはそれとは真逆の方法だった。一点豪華主義というか、ある部分を誇張し、最大化するという手法である。それは普通の歌舞伎公演では実現不可能だろう。ありえない演出である。阿古屋役の玉三郎、それを詮議する重忠役の愛之助、そして悪役、岩永役の薪車、それぞれがもとの役柄よりもはるかに「大きい」役柄として演じられていた。それを実現するために玉三郎座頭が採ったのが「人形ぶり」だった。自身の動きも人形を模していたし、薪車にもまるで文楽人形のような人形振りをさせていた。唯一それがなかったのは愛之助のみ。
去年の11月にみた熊本の八千代座公演でもそうだったのだが、今回も玉三郎が何を目指しているのかがきわめて鮮明に明かされたような気がする。その彼の思い描くものを実現するには役者があるレベルに達していることが求められる。当然限られた人のみに限られる。その玉三郎が選んだのが愛之助と薪車だったわけである。そしてその二人は玉三郎の期待に十全に応えていたと思う。
玉三郎がなぜいわゆる「大歌舞伎」への出演ではなく、今回のような舞台を選んでいるのかの理由がよく分かったような気がする。彼のようなパーフェクショニストにとっては、今の体制化し、硬直化した歌舞伎は魅力をもちえないにちがいない。そこで彼と渡り合える、そして若手の役者を抜擢、共演したのだろう。そしてそれは見事に成功している。
だから、玉三郎のこだわりが随所にみられた。なによりも床の太夫の語りの、竹本のすばらしかったこと!声量といい、表現力といい、人形浄瑠璃の太夫さんに遜色がなかった。太夫さんたちは竹本愛太夫、竹本幹太夫、そして竹本泉太夫だった。そして後半には長唄も加わった(杵屋直吉、日吉小間蔵)のだが、竹本、長唄とここまでスゴい人をそろえれるのもさすが玉三郎。
『ヤマトタケル』で新猿之助が今これほど注目を受けるのにも、観客の強い期待を感じる。新しい演出に観客は餓えてきたのだ。玉三郎が「見込んだ」愛之助はいわずもがなだが、薪車の将来への期待も半端ではない。この薪車、昨年10月の新橋演舞場での花形歌舞伎、『當世流小栗判官』で横山三郎という悪役を軽妙に演じていて記憶に残っていた。また、先月の同じく新橋演舞場での『椿説弓張月』での武藤太役でもそのちょっとニヒルな現代っぽさが印象に残っていた。玉三郎の相手役へのこだわりが分った気がした。玉三郎がバックにいる限り、若手の登用は外れることはない。