ゲストは四代目市川猿之助さんで、「猿之助」としての亀治郎さんを初めてみた。今月の新橋演舞場はチケットが入手できず、あきらめた。来月の公演は行くつもりで、長い間入会しなかった「歌舞伎会」にも入った。先行販売があるというだけの理由で。明日予約を入れるつもりにしている。
この番組での新猿之助さん、ちょっと肩に力が入っていたような。そういや先月東京にいったとき、ホテルでみたテレビ番組にも出演していたっけ。軽いトーク番組だったけど、センスが光っていたし、あらためてステキな方だと思った。とくにその知的なところが魅力的である。他の歌舞伎役者の追随を許さない。
猿之助さんが高橋の絵をみながら強調していた所が印象的だった。それは、「描き続けることが大事」という指摘だった。ご自分と重ね合わせているのだと思う。もちろん作品として出てきたものも大事だが、それ以上のその経過が作品を創り上げる場合、重要なのだという指摘、非常に真に迫っていた。
先月歌舞伎を観に東京に行った折に、あちらこちらで高橋由一の展覧会のポスターをみた。芸大美術館で開催されているとあったので、滞在中に訪ねたいとは思っていたのだが、結局みずに帰阪してしまった。秋には京都に来るようなのでその折にはぜひみてみたい。
私が度肝を抜かれたのは鮭の絵の方ではなく、花魁の絵である。美しく描かれていないところがなんとも生々しい。高橋由一という人がどういう経緯で画家となったのか、なにを目指したのかというのがこの番組から汲み取れて、花魁があのように描かれた理由も分った気がした。以下にサイトからお借りした「花魁」の写真をアップしておく。
高橋由一のサイトから、その紹介文を引用する。
明治維新後に丁髷を落とし「由一」を名乗るところから、近代洋画の父と呼ばれる高橋由一の活躍がはじまります。この時すでに40歳を超していました。絵が好きで画家になりました、といった甘さは微塵もなく、洋画を日本に普及するのが自分の果たすべき使命だという強い自負にあふれていました。画塾を開き、展覧会を催し、美術雑誌を刊行し、ユニークな美術館建設構想も抱きました。日本には洋画が必要なのだ、ということを必死になって世間にうったえたのです。由一には留学経験がありませんが、本場の西洋画を知らずに写実に挑んだ男が生み出した油絵だからこそ、黒田清輝以降の日本洋画の流れとは一線を画す「和製油画」として日本的な写実を感じさせるのです。
「洋画の普及」を謳いながら、留学経験がないために独自の「和製洋画」を創りだした由一。彼だから描かれた花魁像がまさにここにある。日本画でもなく、かといって一般に流通している洋画の概念とも合致していない、摩訶不思議な絵である。描かれている花魁に魅せられてしまう。それはもちろん猿之助さんが見入っていた鮭の絵にもいえる。何とも不思議な魅力である。
芸術的な高さからいうと、決して完成度が高いとはいえないかもしれない。でもそのパーフェクトではないところに惹かれるというのはなんなんだろう。猿之助さんがいうところの「描きつづけている」ことの重みが絵にあらわれているからだろうか。描く過程が否応なく出ているからだろうか。私にしてはめずらしく「美しくない」あまりにもリアルなものに惹かれた例となった。