yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

猿之助『博奕十王』(新春浅草歌舞伎)への期待

今年初めて「新春浅草歌舞伎」をみた。歌舞伎を長く観てきていたのにである。「花形歌舞伎で実験的な試みが多い」ということに二の足を踏んでいたからだろう。最近の若手の活躍ぶりを目の当たりにして、歌舞伎にも世代交替が起きつつあることが判った。去年のものもその期待に応えたものだった。海老蔵のこれからの歌舞伎を担ってゆくというなみなみならない意欲も感じられた。このブログ記事にもしている。

今年(2013年)のものがどちらかというと「正統派古典」を演目に選んでいたのに対して、来年(2014年)の演目には『上州土産百両首』やこの『博奕十王』といった従来の歌舞伎では「異端」扱いされるであろうものが入っている。さすが猿之助、「前年の浅草歌舞伎を超えてやる」という意識が強く感じられて、興味深い。配役は以下。

博奕打:市川 猿之助
獄卒 :市川 弘太郎
同: 市川 猿四郎
閻魔大王 :市川 男女蔵

以下、「歌舞伎美人」に掲載された猿之助へのインタビューを含むこの演目の紹介記事。

「亀治郎としては浅草歌舞伎を卒業。猿之助として初めて出させていただく」と、気持ちも新たに浅草の舞台に立つ猿之助。出演する演目はいずれも、自主公演「亀治郎の会」で復活させたもので、新たに猿之助として上演することで、「浅草歌舞伎にご恩返しをしたい」との気持ちが込められています。

「とにかく華やかで、お客様に笑顔になっていただく――『博奕十王』
 「衣裳は伯父がつくったものを譲り受けて仕立て直しました。上演してほしいと伯父から台本を渡され、今の時代に合わせて短く、博奕以外のところを抜いて"博奕づくし"にしました」。博奕打ちが地獄の閻魔さまと勝負をして極楽行きの通行手形までまき上げてしまう、「とにかく華やかで、お客様に笑顔になっていただく」作品と言います。

猿翁が昭和45(1970)年9月に自主公演「春秋会」で上演、「歌詞も伯父が書いたもので、花札づくしのせりふを言いながら踊ったり、花札の絵柄どおりの振りをしたり、洒落のめしている」。猿之助が自主公演で(平成23年8月国立劇場)、地獄だからと松羽目の舞台の松を枯らし、長唄から後見まで舞台上の人の頭に三角の紙烏帽子を付けてもらったのは、自身のアイディアだったそうです。

その公演の千穐楽に大ゼリとスッポンが動かなくなるアクシデントがあり、いつものスッポンの出ではなく鳥屋から出たとき、「浅草でできる!」と思ったのが、今回の上演に結びついたとのこと。
 また、とにかく客席を埋めたくて始めた苦肉の策、「お年玉」の年始ご挨拶も、猿之助となった今では「口上の訓練にもなる」と、後輩へ温かくアドバイス。そんな話の端々からも、浅草歌舞伎が「僕の根っこの一つ」と言う、猿之助の浅草歌舞伎に対する特別な気持ちが感じられました。

上にもあるように、三代目猿之助(現二代目猿翁)の試みを2011年の自主公演、「亀治郎の会」で復活させたのが、彼の最初の演出、主演だったようである。「亀治郎の会」も去年最終公演を観たのみだったのが残念。でも上にあるように、そのときとは演出を変えているようなので、浅草歌舞伎ならではのものがみられるのが楽しみである。

「亀治郎の会」での配役をみると閻魔大王は亀鶴である。今回の閻魔は男女蔵。あとの配役は同じ。このあたりのこと、「yuki-butai」さんのブログからの情報。その折の臨場感が伝わる観劇ブログで、読むとワクワク感が高まる。

「シャレノメシテやろう!」としていた当時の亀治郎の心意気伝わってきた。でも、「パンフレットではトランプにまみれるわ、バカラの台(多分)にどっかり座るわ、というのでなにが起こるかと思ったけれど舞台上はサイコロとお座敷じゃんけんだけで、安心するやらがっかりするやら」と書いておられるyuki-butaiさんの記事を読むと、パンフレット写真ほどには実際の舞台は「カゲキ」ではなかったようである。猿之助を襲名した今度のものはぜひともカゲキなものであって欲しい!なにやら実際の舞台の様子が浮かんできて、「これぞカブキ!」と興奮してしまう。国立劇場の観客と浅草の観客は違っているはずだから、そんな実験も可能だと思う。

話自体も荒唐無稽。大ケッサク。松竹新喜劇顔負けである。これも楽しみ。