昨日の西宮の芸文センターに続いて2回目のシュツットガルト・バレエである。「観れるときにできるだけみておこう」と思ったのと、『白鳥の湖』を生でみるのは初めてということもあって、S席を予約しておいた。
以下、公式サイトからの写真。
以下にそれぞれのシーンの写真を公式サイトNBSのサイトから転載する。
第1幕 城近くの森での王子と娘たち
第3幕宮殿の間
第4幕湖畔でのオデット、王子の死
この作品もクランコの振り付けで、古典派とは一線を画する「ドラマティックバレエ」の王道を行っている作品のはずだった。いわゆる古典派の振り付けがどういうものかを知らないので、あくまでもこの作品のみでの批評になるけれど、この作品は古典派路線の方が成功した可能性が高いように思う。白鳥の群舞をはじめとする見せ場はクランコといえどもそう過激に変えるわけには行かなかったのだろう。だから昨日の『じゃじゃ馬馴らし』のような思い切った演出ができる余地が少なかったに違いない。その結果、ちょっと中途半端なできに仕上がっていた。群舞はきれいではあるのだけれど、端正でいて硬質なクラッシック特有の品のよさに欠けていた。そろっていない箇所がいくつかあったし、全体的にドタバタしている感があった。「白鳥」に不可欠な優雅さが今ひとつ出ていなかった。昨日の『じゃじゃ馬』ではそのそろっていないところも利点に転換するだけの振り付けの妙が生きたけれど、このどこまでも品格の高さを追求し、その集大成である『白鳥』では、逆にアラがあちらこちらにみえてしまい、いささか鼻白んでしまった。
クランコと叙情的かつロマンティックなチャイコフスキー曲とは相性が悪いのかもしれないと思ったのが、場面によっては曲の雰囲気と踊りとの齟齬がありすぎて思わず笑ってしまうことだった。とくに第3幕の宮廷での踊り。スペインの姫君とそのお付きたちの踊りは明らかにフラメンコ風だったし、ポーランドの姫君とそのお付きたちのものはコサック風(?)、ロシアの姫君とその一行はギリシア(正教)風(?)となにがなんだか分からないインターナショナルな踊りが連綿と続き、ここの演出法ももうすこし考慮の余地があるように思った。古典派でもこういうように踊るのだろうか。ただ、これをバレエではなく芝居としてみると、なかなか面白い。踊ってしまうと冗漫になるところを、その奇抜さを際立たせる演出をすれば、またちがったコミカルな面が打ち出される可能性がある。コミックレリーフなり得る。そういえば昨日の『じゃじゃ馬』では何人もの道化役が設定されていた。もちろんシェイクスピアの原作に則ったのだけど、それを『白鳥』のようなマジメな作品に求めるのは酷なのかも。でもクランコの後継者はもっとがんばって、思いっきり過激な演出をしてみてもよかったのでは。せっかく(意図したのではないにせよ)オカシイ場面があるのだから。
第2幕冒頭では(これも演出者には心外だろうけど)4人の白鳥が横並びに踊るシーンで、思わず吹いてしまった。トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団のあまりにも有名な同シーンを思い浮かべてしまったから。ことほどさように、すでにこういう過激なパロディが存在する以上、新演出を試みるならその上をゆくものにしないと中途半端にならざるを得ないのかもしれない。
主役のオデット/オディールを踊ったアンナ・オサシェンコも少し生彩に欠けているように見えた。技量的にあまり完全とはいえず、ミスもあったし、なによりも見せ場の回転する(あれって、専門用語でなんていうんでしょう?)のに、ずっと前に進んでしまったときには、「あれっ」と思った。
一方、ジークフリート王子のエヴァン・マッキーはすばらしかった。昨日のジェイソン・レイリーと同じく、容姿、技量共に完璧!踊りも優雅でいて躍動感に満ち満ちていた。いったいにこのバレエ団の踊り手は男女共に肉感的な人が多いように思うけど、男性の場合はとくにそれが舞台一杯に広がるパワーとして観客にびんびんと伝わる。女性の踊り手は(けっこう近くでみたせいもあるのかもしれないけど)ロシアのバレエ団や先日みたウィーン国立歌劇場のバレリーナより若干肉付きが良いよう感じた。踊りのタイプが古典派のものとはちがっているからそう感じたのかもしれないけど。全体的に男性陣の方がより美しく魅力的だった。
舞台装置はどの幕ともにすばらしかった!第1幕の城近くの森、第2幕、第4幕の湖を背景にした森の奥深く、第3幕の宮殿の間、それぞれが観客の想像力を膨らませ、満足させるものだった。道理で大型トラックが何台もホールに横付けされていた。あれだけの大道具、装置ですものね。
昨日の『じゃじゃ馬』でも感じたのだが、バレエにはどこか人の深層心理に踏み込んでくる何かがある。第一、森のシーンなんてまさに深層心理を表象しているものだし。グリム童話などもそうですよね。「ファンタジー」という形をとることで、すんなりと観る者のこころの深みへと降りて行く。踊り手はその案内人。そんなことを考えながら観ていた。