NHKのホリデー・インタビューへの登場だった。なんと、朝のテレビ小説でヒロインの義父を演じたそうである。そういえば1、2度みたこの番組での人の良さそうな俳優を思いだした。あれが串田さんだったとは。インタビュー中の串田さんとはまったく違った印象だった。
串田さんといえば、あの渋谷のコクーン歌舞伎の仕掛人であり、その前だと『上海バンスキング』の演出家(舞台/映画)でもある。コクーン歌舞伎では現中村勘三郎とともに、歌舞伎に新しい潮流をもたらした。彼の活動の中心が東京だったこともあって、残念ながら彼の演出作品を観たことがない。
8年前からは東京を離れて長野県の「まつもと市民芸術館」で監督を務めている。このブログで山鹿の八千代座のことを書いた折に、串田さんが八千代座の写真集に寄せた「玉三郎讃」に言及した。そのとき、彼が「まつもと市民芸術館」で監督に就任していることを知った。佐藤信も世田谷や杉並の芸術会館の監督をしているが、串田はわざわざ地方を選んだのだ。
串田さん、東京を離れた理由を、東京にいると常に時間に追われ、自分が実は何をしたいのかをゆっくりと考える暇もなく仕事から仕事へと駆り立てられるからだとおっしゃっていた。この松本での舞台は、観客数も100名ほどで、ちょうど彼がアングラ劇を始めた頃の規模と似ているという。舞台と観客との距離が近いというのは、今では大衆演劇くらいしかないだろう。串田さんはあえて芝居の原点に還ることを目指したのだろう。
かって目論んだように、演劇を「事件」にしたいと熱く語る串田さんは、とてもそのお歳にはみえないほど若々しい。松本では街自体の規模が小さく、観客も少ないので、かっての芝居がそうであったようにいわゆる口コミによって、芝居が事件になる可能性を秘めているのだという。現に松本では彼は街の人たちに親しまれ、尊敬されているようだった。
彼はインタビューをしたNHKのアナウンサーをまつもと市民芸術館へと案内。最新作、『空中キャバレー』の大掛かりなセットを披露していた。客席は本来なら300名入るところをあえて200名とし、客席だけではなく舞台の回りにも観客を座らせるというプラニングをしていた。実際の公演の様子もテレビに映っていたが、熱気がこちらまで伝わるような躍動感溢れた舞台だった。
演劇というものの一回性、それは「欠点」でもあるが、大いなる利点でもある。先日都若丸さんが自分たちの演劇は「アナログ」だとおっしゃっていたが、まさにその通り。舞台は手仕事的であり、その日の役者、観客によって、そしてその間の関係によって、一回一回が違ってくるのは必定である。演劇は生きものなのだ。それは映画等にはない魅力である。
そういう演劇の原点というべき本質を再度評価し、またあらたなる挑戦に向けて飽くことなく闘う串田さんはとても魅力的だった。