yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

NEWシネマ歌舞伎『三人吉三』@大阪ステーションシネマ 6月27日

降り注ぐ雪に埋もれて行く三人の吉三たち。彼らの合い携えての死。哀しくも美しく、崇高でさえあった!終わって、クレジットが出て来ても観客は立とうとしなかった。感動で動けなかったんだろう。私も思わず泣いていた。「シネマ歌舞伎」の新しいページが捲られた瞬間に立ち会えた幸運に感謝した。

今までの「シネマ歌舞伎」シリーズとはまったくちがった切り口で『歌舞伎三人吉三』を解体、再構築した作品。斬新な舞台装置では玉三郎監修の『海神別荘』、『天守物語』、斬新な演出というのでは野田秀樹演出の「コクーン歌舞伎」シリーズが挙げられるだろう。この『NEWシネマ歌舞伎 三人吉三』も舞台装置と演出、二つ共に革新的である。ただ革新性はそれに留まらない。なぜなら、映像化するのにさらなる斬新な工夫が重ねられているから。舞台をそのまま映像化するのではなく、その一部を切り接ぎし、パッチワーク状にしている。とくに冒頭部が衝撃的。江戸の市井の人たちの生々しい日常がリアルに再現されている。これは後でパッチした映像。実際の舞台にはなかったもの。舞台がより立体的に迫ってくるような仕掛け。普通の映画をみているような感覚で、歌舞伎の舞台に入って行ける。映像と舞台とのコラボというのでは、画期的試み。

次に現れた歌舞伎の舞台も最近のオペラ、バレエの装置と見紛うばかりの立体的なもの。圧倒された。「METライブビューイング」を意識しているような、そんな気がした。演出の串田和美さんがオペラ、バレエの最近の演出を参考にされたのは容易に想像できる。ちょうど二年前に東京文化会館でみたパリオペラ座のバレエ『天井桟敷の人々』の舞台を思いだした。普段は二次元的にしかみていない江戸庶民の世界が、突如三次元になって出現した驚き。装置の壮麗さに対し、その場で生活を営んでいる人間たちの世俗性。この対比に参ってしまう。

このearthly (世俗的)とcelestial(「天上界の」という意味なんですが。超俗的?)との対比がしばしばこの作品中に提示される。俗と聖といっちゃうと、ちょっと違うようなので。この二つの相反する相を同時に顕すのに、映像がどれほど役だっていたことか。舞台でみるとそこまで鮮明には浮き出ないこの対比が、映像と組み合わせることで、リアリティとなって立ち上がって来ていた。それがテーマの一つであることは、最後のシーンでもよく分かる。というか、このシーンに収斂した形で示されている。

『三人吉三』は、いわばならずものの、アウトローの三人を描いた作品である。社会のはみ出しもの、鼻つまみ。そんな彼らでも(だからこそ)、互いの背負っている過酷な運命を思いやることができる。そして互いの為には命をも捨てる覚悟もするのだ。そこに俗を超えたある種の聖性を見出している。

以下いくつかの関連サイトから引用させていただく。まず、「映画.com」から。

歌舞伎の舞台を映画館でデジタル上映する「シネマ歌舞伎」シリーズ第22弾。中村勘九郎、中村七之助、尾上松也ら歌舞伎界の新世代スターたちが河竹黙阿弥の名作「三人吉三」に挑んだ、2014年6月・渋谷シアターコクーン上演の舞台を収録。本公演の演出と美術を手がけた串田和美が監督を務め、編集を重ねて新たな映像作品としてよみがえらせた。

木屋の手代・十三郎は夜鷹のおとせと一夜を共にするが、店から預かった百両を宿に忘れてしまう。翌日、十三郎に金を届けようとしたおとせは、その道中で出会った娘に金を奪われる。その娘の正体は、お嬢吉三という盗人の男で、さらに通りすがりの男から名刀・庚申丸を奪い取る。そこへ犯行を目撃した盗人・お坊吉三が現われて百両を横取りしようとする。2人が争っていると、今度は和尚吉三という盗賊が止めに入る。自分たちが同じ名前であることに不思議な縁を感じた3人は、兄弟の契りを結ぶが……。

さらに、松竹サイトの作品紹介が以下。

中村勘九郎、中村七之助、尾上松也といった歌舞伎の次世代を担う三人に、
ジャンルを超えた個性豊かな俳優たちが集結した熱い舞台が映画館に蘇る―。
河竹黙阿弥が生み出した歌舞伎の名作に現代のアーティスト・串田和美が手を加え、新たな光を当てた作品が、「NEWシネマ歌舞伎」として誕生します。

今回は、本公演で演出・美術を担当した串田和美が監督を務め、編集に編集を重ねてブラッシュアップ。3時間半以上の舞台を2時間15分まで煮詰め、ライブで舞台を観た方にも全く違う演劇作品として感じて貰えるよう、また勿論、舞台を観ていない方にも新しい映像作品として楽しんで頂けるようにと、新たな演出を加えた撮影や、普段は入れない舞台袖等にカメラが潜入し、映像や音にこだわり抜いた、かつて無い「シアトリカルムービー」が誕生いたしました。

あらすじ
――三人だから、 生きられた

節分の夜、同じ吉三の名を持つ三人の盗賊が出会い、義兄弟の血盃を交す――
僧侶崩れの和尚吉三、男に生まれながらも振袖姿のお嬢吉三、浪人のお坊吉三。
数奇な運命に導かれ翻弄されながらも、がむしゃらに命を賭して生きる三人。
名刀「庚申丸」と「百両の金」が様々な人々の手を巡りもたらす悲劇の連鎖......。

コクーン歌舞伎『三人吉三』(さんにんきちさ)
演出・美術 : 串田和美
出演
和尚吉三 : 中村 勘九郎
お嬢吉三 : 中村 七之助
お坊吉三 : 尾上 松也
十三郎 : 坂東 新悟
おとせ : 中村 鶴松
海老名軍蔵/八百屋久兵衛 : 真那胡 敬二
太郎右衛門/長沼六郎 : 大森 博史
安森家来弥次兵衛/堂守源次坊 : 笈田 ヨシ
土左衛門伝吉 : 笹野 高史
研師与九兵衛 : 片岡 亀蔵

最後に、[映画.com ニュース]から。「串田和美氏、舞台を初めてカットしたNEWシネマ歌舞伎『三人吉三』に自信『独特なものができた』」というタイトルの記事中の串田のコメントに、主演の3人が映画の試写を見た際には「皆黙っちゃって、作品はいいけれど自分の芝居は薄っぺらだって落ち込んで、悲しい顔をしていた」というのがあった。舞台では人物、つまり役者が等身大以上のパワーをもつのに、それが映像となると、演出家の「意図」といったものの方が役者より大きく全面に出て来る。

舞台そのものに戻ると、もちろん三人の吉三、勘九郎、七之助、松也が良かった。それと、三人の吉三とは対になった三人の夜鷹(名前が掲載されていない)の演技が秀逸だった。パロディになってんですね。それと新悟の清新な演技が際立っていた。

もう一度観たいと思っている。