yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

スラヴォイ・ジジェク著 How to Read Lacan (邦題:『ラカンはこう読め』)

今日梅田に出たついでに紀伊国屋書店に寄った。思想のコーナーで目に飛び込んできたのが

ラカンはこう読め!

ラカンはこう読め!

で、2007年に出たジジェクのHow to Read Lacan の翻訳本だった。ジジェクらしいなと思って中身をみると、各章のタイトルも面白かった。ジジェクならではの切り口での映画、テレビを含む文化分析だった。「入門書」とあったけれど、例えば、『斜めから見る』(Looking Awry
斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ

斜めから見る―大衆文化を通してラカン理論へ

などのヒッチコック映画の彼独特の分析になじんでいなければ、難しいと思う。

ジジェクおたくの私としては買わない手はないのだけれど、やっぱり原著で読もうと思い、帰宅してKindle 版になっているかを確認すると、なんと入っていた!9ドルばかりなので、紙よりも安い。というわけでダウンロードして読み始めた。先日のこのブログの記事に、「Kindle は学術書が少ない」と文句をいったのだが、訂正しなくては。でもやっぱりKindle は読みにくいので(とくに暗い室内では)、PCにもダウンロードしたのだが、こちらはめっぽう読みやすくて、いっぺんに気分がよくなった。もちろん電車などの車中ではKindle 本体で読書するつもりにはしている。

アマゾンの日本語のサイトに入ってこの本のレビューをみるとさすが高得点だった。その折にジジェク関連の日本の本として出てきたのが『寺山修司をジジェクで読む』という本で、ジジェクが広く文学研究者の中で市民権をしっかり得ていることが分かった。ラカンではなくジジェクというのが「なるほど」と思わされた。たしかに大衆文化論をするにはジジェクというメガネを通してのサイコアナリシスの方が、そのままラカンに拠るよりよりドラマチックになるに違いない。寺山の劇の解釈にも格好のアプローチだと思う。私もアメリカの大学院にいるときに何本かのペーパーをジジェク理論に拠って書いたことがあったけど、年配の先生などまったく受け付けてくれなかったっけ。若い指導教授はむしろ歓迎してくれたので、救われた経験がある。

ひさびさのジジェク、ワクワクしてしまう。で、今当座やらなくてはならないことがお留守になる可能性もあって、苦しい。