『伊勢音頭恋寝月』は二度目だが、通しでは初めてである。最初のは平成7年6月、歌舞伎座でみた。油屋の段からで、福岡貢を当時はまだ孝夫だった現仁左衛門、お紺を雀右衛門、万野が玉三郎という配役だった。孝夫と玉三郎の組み合わせということで、いつも以上に観客が多くて席をとるのがやっとだった記憶がある。当時は歌舞伎人口がいまほど多くなくて、当日でも席はとるのにそう困らなかった。それから数年で、当日だと幕見席しかなく、それも並んでも手に入らないようになった。アメリカに7年行っていたこともあるのだが、当日券が入手できないということで、歌舞伎座からは自然と足が遠のいた。
今回の公演は「第20回歌舞伎を愛する会」としての公演で、上方役者が勢揃いした。伊勢が舞台なので、空間的にも上方文化圏に入っている演目で、力がずいぶんと入っている印象を受けた。特に1幕目の伊勢街道相の山の場、妙見町宿屋の場は江戸中期の伊勢界隈の様子をリアルに描いていて、興味深くみることができた。当時のお伊勢参りの盛況ぶり、宿屋のにぎわいなどがよく分かった。こういうところさすがに歌舞伎の舞台である。背景一つにしてもお金のかけ方が大衆演劇とは違う。ただ、それが舞台の質に直結しているか問われれば、そこは微妙ではある。
言葉の点では安心して観ていれた。端役にも関西出身の役者がそろっていて、上方言葉が板に付いていた。無理のある上方弁はみている方を不安に陥れてしまうから。
近松門左衛門ではないけれど、この作品も当時の実際におきた事件を元に書き下ろしたものである。作者は近松徳三で、事件からすぐに筆をおこし、わずか三日で書き上げたという。まさにとれたてのほやほやを舞台に乗せたもので、こういう点、大衆演劇にその名残がみられるが、体制化してしまった歌舞伎にはそういう「ホットさ」はない。
この狂言のソースは伊勢古市の遊郭のひとつ油屋で孫福斎宮という医者が居合わせた仲居など9人を殺傷、その後自害したという事件である。それに近松以来おなじみの「お家騒動」と「家宝の名刀の盗難」とを絡ませて狂言に仕立てたものである。こういう筋立てというのは、おそらく当時の台本作家はそのひな形をいくつももっていて、それを組み合わせながら芝居に仕上げたのだろう。だから三日で書くなんていう神業が可能だったのだろう。
「通し」にした分狂言全体の構成と話の流れはよく分かったのだが、問題もあった。これはない物ねだり的なことなのかもしれないが、最後の場の貢の豹変、相手かまわずの殺戮、サディズムの饗宴の場面のインパクトがあまりなかった。その中に現れる「殺しの美学」があるのだが、それが感じられなかった。最初にみたときには、貢と万野とのサド/マゾ的掛け合い、そして貢の乱心、殺戮という経緯がハイライトされて、そこに浮かび上がってきたのは狂気の中にある美学だった。孝夫/玉三郎のコンビが単に美しい役者の組み合わせというだけではなく、ピンとはりつめた緊張感を具現できる伴侶として機能しているのがよく分かった。今回の万野の秀太郎は手練で、こういう意地の悪い中年女性、地位も中途半端なためにイライラを募らせている仲居を演じて好演ではあったのだが、あの玉三郎の万野をみてしまったので、どうしても比較してしまう。玉三郎の万野が黒っぽく塗った唇をゆがめて意地悪く笑う表情がかぶってしまう。表情もあまり動かさずに、それでも目で「百ほどにモノを言い」というような演技をした。それがあとあとまで頭の中に残っていた。
お紺は時蔵で、雀右衛門よりは数段若いから、貢が思いを寄せる女郎という役どころに無理がなかった。この人の声はよく通り、しかもどこか品格があって、女郎というより、どこか大名の奥方という雰囲気ではあるのだが。
「上方歌舞伎」へのこだわりはよく伝わってきたので、こういう機会があれがまた出かけるが、5月の團菊祭で東京の若手歌舞伎役者の隆盛をみたので、上方にも勢いのよい若手が育っていて欲しいと思う。