yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

小西甚一著『日本文藝史』

とにかく圧倒される。といっても私が所有しているのは全5巻の第3巻のみである。

アメリカの大学院にいるとき、日本文学のいくつかの授業で小西甚一さんの名前を聞いた。大学受験勉強のときに彼の古文文法の解説書を使ったので、その名にはなじみはあった。もちろん私のいたペンシルバニア大学の図書館には全巻収まっていた。このシリーズには英訳もあり私の先生(指導教授の一人)の「先生」が監修をしているのだが、その翻訳版も図書館には全巻納まっていた。図書館のなんという充実!アメリカの大学の図書館の充実度は日本の大学の比ではない。

当時日本の中世史の授業と中世文学のクラスをとっていて、課題のペーパーを書くために図書館で当該本を借り出したのだが、中に線を引いたりできなくて困った。というわけで卒業資格試験(コンプ)の準備をするとき、思い切って買い求めたのだと思う。「思う」というのは、記憶の彼方のことで、よく思い出せないからである。最近『梁塵秘抄』に記載されている「今様」について、また中世の語りものについて調べたいと考えるようになり、この本のことが頭をよぎったので、書棚から取り出して中をみてみた。線だらけ、付箋だらけなのだが、なぜそこにそれを付けたのさえ、すっかり忘れてしまっている。悲しい。でもどこか潜在意識の中に残っていたので、この本のことを思い出したのだろうけど。

しかも私の記憶では第2巻、4巻も買ったはずなのに、探してもみつからない。きっとケチって、3巻のみにしたのではないかと思う。そのせこさも悲しい。というわけで早速古書のネットで全巻注文した。3巻は重複するけど、仕方がない。

今手元にある第3巻は中世1期、漢詩文から中世2期、能までを扱っていて、どのページを開いても興奮してしまう。いちばんおもしろいのは、やはり「今様」などの語りと詠いとが一体化した形がどう発生したかをたどる部分である。「説教」(説教節の)などももとを逆のぼれば「唱導」に行き着くようである。最近観劇に時間を取られて、なかなかゆっくりと本を読めないのだが、時間を捻出して読み通したい。