yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

小西甚一著『日本文藝史』第4巻 講談社

以前にこのブログに小西甚一さんの『日本文藝史』(全5巻)の第3巻をもっていると書いたのだが、先日書棚の整理をした折に第4巻をみつけた。あと残りの3巻分は夏休みに入ったら(前期試験期間が8月第1週まであるので、そのあと)すべて目を通すつもりである。

松岡正剛さんの『千夜一夜』の「小西甚一著『日本文学史』」にもある通り、小西甚一さんのアプローチは他の日本文学者とはまったく違っている。正剛さん自身、「日本文学史』を読んだ当初に持った感想、「きわめて古臭い欧米文芸理論を、絞りに絞って日本の文芸通史にあてはめたような印象だった」をのちにこの『日本文藝史』を通読するにおよんで前言を撤回している。私は『日本文学史』自体は未読なので確証はできないが、おそらく『日本文藝史』のコンサイス版なのだろう。貫く視座はどちらも共通していてゆるがないに違いない。正剛さんはそれを以下のように述べている。

本書(『日本文学史』)で簡潔に述べられている判で捺したような用語や結論が、大著の『日本文藝史』では、どんな作家や作品も、いくらでも深く、どのようにも細かく、それぞれ厖大な例証をもって論じられている。しかもどれだけ煩瑣な文芸情報の海を漂流しても、文芸の分枝きわまりない繁茂の森を分け入っても、まったく視座が転ばない。

正剛さんの「欧米文芸理論を援用している」という点については、ある程度は納得できる。「古くさい」という部分は首肯できないが。欧米の文学理論もある意味サーキュレイトしていているから。たしかにこの『日本文藝史』には欧米の理論を適用するという姿勢は随所にみられる。それはなにも欧米の真似をしているというのではなく、比較文学的な視点に立つからである。小西さんはスタンフォード大で客員教授を、そしてプリンストンでは高等研究員をしておられたから、在米の期間はかなりになる。アメリカの大学で教えたり、研究する場合、この比較文学、比較文化的視座は必須条件となる。アメリカの学生(もちろんそれは世界各地からの留学生も含む)を納得させる授業をし、また説得力のある論文を発表するためにはこの視座がなくては歯牙にもかけられない。

それは目次にすでに一目瞭然である。彼は中世のスパンをかなり長く取る。漢詩、和歌の隆盛と「俗化」をみた1世紀を中世第1期とし、『風流」から「道」を編み出した、それが日本のルネッサンス、バロックの集大成である能、連歌、浄瑠璃、俳諧をみた時期を第2期、そして「俗」が再び「雅」へ流れ込んだ時期を中世第3期とする。中世の晩秋、つまり晩期は「雅」と「俗」との融合が歌舞伎、浄瑠璃という形で実を結び、またシナ小説の影響を受けつつ読本、講談本といった戯作へと発展する過程を辿っている。

中身については、とくに戯作のところは別稿にして書きたい。ここで私が衝撃を受けたのは、この日本文学、そして歴史の捉え方はそのままペンシルバニア大学の歴史のクラス(博士課程の院生2人の)でハースト先生(Cameron Hurst III)に習った捉え方そのものだったことである。彼の授業で「中世とはどの時代か。なぜそう考えるのか」と厳しく(?)問われて、再三困り果てたことを思い出した。なにしろこちらは受験勉強でさらえた日本の通説しか知らなかったし、それに疑問も持っていなかったから。ハースト先生のお仲間の日本歴史研究者、Jeffrey Mass 、Paul Varley 、 Martin Collcutt、 John Wihitney Hall たちの書いた論文と悪戦苦闘したことも思い出した。彼らのバックボーンになっている理論はあくまでも比較文化の視座にのっかったものであり、そこから生み出される見解、解釈は私がそれまでなじんできた「日本史」とは似て非なるものだったから。