歌舞伎論の嚆矢といえばこの本だろう。そして研究者としても服部幸雄さんがここ何十年の歌舞伎批評ではトップにくる方であるのは間違いない。彼と肩を並べるのは、渡辺保さんくらいだろうか。アプローチの仕方は大分違うけれど。
アメリカの大学院の博士課程に入ろうと決めたとき、すでに博士論文のテーマは決まっていた。三島由紀夫の演劇、それも古典劇にするつもりだった。だからブラウン大学から帰国した1992年頃から関係資料を集め始めたが、そのときに集めた本の一つがこれだった。これは歌舞伎論の集大成といってもよい良書である。
服部幸雄さんは当時すでに歌舞伎評論で最高峰の一人として広く認知されていて、NHKの歌舞伎講座の講師もされていた。その学術レベルの高さと、歌舞伎の肝になる演出法等を平易に解説されるその姿勢に打たれた。今でもその様子が瞼にありありと浮かんでくる。
彼が2007年に亡くなっておられたのを、うかつなことについ最近まで知らなかった。あることが気になって、ネットで検索したときにそれがわかり、ショックだった。直接お話を伺いたいなんて思ったこともあったので、とても残念だった。「歌舞伎学会」なるものがあって、それに渡米前に2回ばかり参加したが、服部幸雄さんはそういう場には出てこられてはいなかった。
NHKの講座の印象では、とてももの静かな方で、それでいて歌舞伎への熱い思いというのがテレビのこちら側にいる視聴者にも伝わってきた。そして何よりも、その研究の厚み、確かさが伝わってきた。実証的(empirical) でいながら、それをはみ出る何か、それは演劇を論ずるのであれば避けては通れない憑衣のようなもの(端然としたスーツ姿でしたが)、それが視ている側に伝わってきた。
服部さんの著書の中で私が資料として気になっていたのは、著書中に引用されている江戸時代の蘭学医の娘、今泉みねのメモワール、『名ごりの夢』だった。ここには当時の芝居見物がどのように行われたのかの詳細な記述があるだけではなく、日記ならではの彼女のワクワクとした気持ちが実にリアルに記されている。そういう資料を使うという姿勢、それは服部幸雄さんが、学者的にアプローチしたというより、演劇的アプローチしたということを示している。
服部幸雄さんがこだわったのは、アーカイブに収まった資料ではなく、息づかいの聞こえるような生々しい資料だったのだ。それこそ演劇の本質だから。資料にもそれを求めたのだろう。
この『江戸歌舞伎』、実におもしろいし、示唆に富んでいる。松竹の庇護をうけておさまりかえっている今の歌舞伎への痛烈な批判!にもなっていると思う。その出自、古層を忘れてしまった今の歌舞伎への。さすが服部先生。Wiki でみて、納得した。彼の亡くなった年に出版されたのは、『歌舞伎の原郷 地芝居と都市の芝居小屋 』(吉川弘文館 2007)なのである。まさに地芝居を歌舞伎の源に据えようとした試みだったのだ。この本も入手するつもりである。