yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

死後のFacebook

ここ数週間twitter を放置していたので、久しぶりに覗くと、いくつかの興味深い投稿を見つけた。その一つは、ブログであれFacebookであれ、その書き手が亡くなった後、どうなるかを探るものだった。

たしかに、中断してしまったブログに出くわすと、いったい何がその人に起きたのだろうかと、心配することもある。実際、高橋哲哉さんという方のブログが中断した後で、ご家族がお断りの文章を投稿されていたことがあった。でもそのブログはそのままに遺されている。甲南大学教授を定年退職されたあとも、いろいろな活動をされ、また執筆もされていた方である。つれあいと以前の神戸、東灘区の住居のご近所だったということで知り合ったということだった。随筆の著作もある方で、ブログも知的で楽しいものだった。

ニューヨーク・タイムズに、幽霊ブログ、幽霊Facebookを話題にしている記事があった。Facebookの効用を示すことにもなっている。

Facebookのおかげで、亡くなった息子に会うことができるというものだった。話題の人はJacqueline Mooreという女性で、息子さんが夏休みで帰省後、大学(Amherst大学)に帰る途中で自動車事故にあって亡くなったという。息子さんのFacebookのサイトにはまるで彼が今でも生きているかのような、励ましの温かい言葉が投稿され続けているという。この女性はそれで慰められ、元気づけられているのだ。息子さんの誕生日にはバースデーカードが届いているという。

この女性は悲しみが堪え難くなると、このFacebookのサイトを訪れ、いまだに息子が生きている手応えを感じるのだと言う。実際、そのサイトでは彼は亡くなっていない。なにか抽象的に「みんなの心に生きています」というのではなく、現実として生きているのだ。それがFacebookというツールで可能になっている。「死者からのメッセージ」ではなく、「本人からのメッセージ」として、サイトではうけとめられる。生者と死者との区別をインターネットはしないから。