論文は結局溝口健二の映画、『浪速エレジー』を対象に選らんだ。期日が迫っているのでここ2年間で初めて日本語で書く。
三島由紀夫についての論文をここしばらく書いていないので、なんとか三島論で行くつもりだったが、次の課題にすることにした。芝居はもう選んでいる。『鹿鳴館』を論じるつもりだ。正月休みの間になんとか仕上げるつもりである。これは英語で書くことにしている。実際英語で書かなくては意味ないのだ。論文は世界に向けて発信するものだから。
『浪速エレジー』を選んだ最大の理由は来年の4月からの学期で留学生対象の「日本映画」のクラスを担当するからである。ここ4年ずっと留学生相手に映画論を講じてきた。毎回溝口は監督のリストに入っているのだが、『雨月』、『残菊物語』は留学生の受けがいまひとつなのである。だから次回はこの『浪速エレジー』を使うつもりだ。小津安二郎の傑作、『東京物語』にも「退屈だ」(Boring)とほざく連中なので、彼らの関心を惹くにはかなりドラマティックな映画でなくてはならない。『浪速エレジー』のテーマはきわめて現代的なので、『雨月』、『残菊』よりは理解しやすいのではないかと思う。
これが「面白くない」というようであれば、それは彼らの知的能力の欠如を示しているのである。昨年のフィンランドからの留学生には失望した。前年のフィンランドからの留学生のレベルが非常に高かった(私がペン大でおしえたときの学生のレベルより高いくらいだった)ので、失望した。私の勤務先の大学のレベルに合った学生が外国から来るようになってしまったののかもしれない。
とにかく、この『浪速エレジー』に決めたので、明日から早速執筆にかかるつもりである。
この作品にはペン大と関わる想い出がある。日本文化論のクラスで発表にこの映画を選んだのだ。ペン大の図書館のフィルム・ライブラリーにこの作品は入っていたので、自分で調達する必要がなかった。そしてこれを観て強烈な衝撃を受けた。とても興奮して発表したのを思い出した。
私が知っていた溝口作品とはかなり違っていた。もちろん映像の様式美はそのままだったけど(といってもこの作品は有名な他の作品より溝口初期のものである)、主人公があまりにも強烈なのだ。『雨月』にももちろん強烈な個性をもつ京マチ子という女優はでてくるが、この作品で主人公を演じた山田五十鈴の強烈な個性には及ぶべくもない。それほど彼女は強烈である。
ひとことでいうなら家族からも排除された女性が世の中の荒波にもめげず、しっかりと生きてゆくというのがだいたいの筋である。身体を張っていろいろな経験を積む。ラストシーンで逆境の只中にいる山田五十鈴の顔をアップにすることで、彼女の「世間」への失望が滲んでいる。