yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

受肉した青い炎−−羽生結弦選手の「バラード第一番」in「フィギュアスケート四大陸選手権男子SP」@ソウル2月7日

羽生結弦選手の闘志はみなぎって、あふれんばかり。曲は急遽変更したショパンの「バラード第一番」という自家薬籠中のもの。闘志は闘志でも、何か裡に秘めた形での闘志。色でいえば、赤や橙ではなく、「青い炎」(!)メラメラと燃え盛る青い炎。自らが青い炎となって広がり、その炎の中に場を吸収してしまう。羽生結弦選手とをメディアムとした神秘的な炎がリンク全体を覆う。

繊細な旋律に身を任せるようにして滑り出す。あくまでも優しく、揺蕩うように。ステップも腕の振りもごく自然に技術度最高のジャンプにつながる。それからの回転も優雅であると同時に、艶っぽい。この艶っぽさが以前よりも増している。美と艶とを流れの中にこれ以上ないほどに、完璧に組み込んでいる。優美さでは最高峰のバレエ・ダンサー。

その美には肉化された(筋肉を感じさせる)艶がある。美と艶、このバランスを取れるのは羽生選手だけ。フィギュアスケート選手の大半は「肉化」の比重があまりにも大きくて、美しくないんですね。だから、この「バラード第1番」のような曲がそぐわない。羽生選手は自身が、自分のみが、その「超絶」が可能だと確信したのだと思う。

テンポが速くなる。ジャンプからキャメルスピンへの流れが優雅(優しく、雅やか)。とくにスピンに魅了される。次なる曲主題に合わせてのジャンプ、激しいシットスピンには彼の想いが最大限発散されている。キャメルスピンもシットスピンも、そして終結部のスピンも、回転の速さが彼の心の裡の激しさそのもの。彼の場合、闘志がスピンにより際立って顕れているように思う。この曲の主題が受肉化されている。

後半部は能の急の舞。抑え込んでいたものが解放される喜び。その喜びが加速するステップとして表現される。限度を超えでた歓喜は、コンビネーションスピンでの華麗な舞となって収束する。神秘の炎、それを受肉した羽生結弦選手!彼がその場から去るのを惜しむかのように、余韻を残したまま終わる。

羽生結弦選手自身が、「炎を受肉化する」という自身の(ある種神秘的ともいうべき)「ミッション」を自覚したのではないだろうか。それがあの目にも鮮やかな闘志となって迸り出ていたように感じた。

それは衣装にも表れていた。以前のサッシュは黒地だったけれど、今度はゴールド。また首元にもゴールドのスパンコールがちりばめられた豪奢なもの。「淡い青」を強調しつつも、ゴールドをしっかりと加えている。コンセプト自体が変わってきているように感じた。「絶対王者」であるという自負、使命感を強く感じた。点数も最高点だったけれど、それ以上に「羽生結弦」が何者かを、私たちに伝える演技だったように思う。

フリーの「SEIM EI」。羽生結弦選手は受肉化した「晴明」を魅せてくれるに違いない。ワクワクする。どれほどまでに内容を先鋭化できただろうと、大していない知恵を絞って思い巡らせている。