yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

学芸会並み?『ハムレット』@シェイクスピア・グローブ座、ロンドン 7月13日マチネ

本当にがっかり。最後まで見続けるガッツはなく、第一幕で退出。これでreviewを書くのはあまりフェアと言えないかもしれないけど。今までに見てきたシェイクスピア劇の中で最悪だった。最も良かったのはストラットフォード・アポン・エイボンのロイヤル・シェイクスピア劇場での『真夏の夜の夢』だった。大昔、多分1989年だったと思う。

開演前に私の席(舞台上手奥のベンチ席)から撮った会場の様子を。舞台ではすでに城郭護衛役の役者さんが睨みを聞かせています。

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これはファース?逆転の喜劇?というのも、ハムレットを演じたのは女性、彼の親友ホレイショーも女性、従者たちも女性。そしてオフィーリアは男性が演じた。ジェンダー・チェンジで必然的に生まれる「間違い」というか、ギャップで笑いを取るところもあったから。また、クローディアス王を演じた役者の演技がやけにオーバーで、それで笑いも取っていた。

「気がふれた」ふりをするのに、ハムレットが道化のメイク、衣装で出てくる場面は、その誇大に「取って付けた」感があり、失笑を招いていた。すべてにおいて、大仰な演技。多分それもファース的な演出の一環だったのかも。ただ、あまりにもの予想とのギャップに、楽しめなかった。もちろんあの『ハムレット』、もし私が演出するとすれば(大きくでました)、あの陰鬱な悲劇を思いっきり転覆させ、喜劇にしてしまいますけどね。その点は買います。何年か前のカンバーバッチの『ハムレット』、「素晴らしかった」の下馬評。あれを超えるとなると、こういう演出に落ちついた。

 とはいうものの、やっぱりこの(本家とでもいうべき)グローブ座で見る限りは、正統派を期待しますよね。それなのに役者がいけない。一人としてまともな演技ができていない。ナショナル・シアターに乗る役者とはまるでレベルが違った。そう、何かページェントでやっつけ「演技をする」ニワカさんの感じ。

でも、目を瞠かされた点もいっぱいあった。ここは初めての劇場だったのだけれど、昔日のこの地にあったグローブ座をそのまま再現したものらしい。中央に舞台。その前に平土間席でそこは立ち見。それをぐるりと取り囲んでベンチ席が3階まで設けられている。舞台とベンチ席以外は青天井なので、時折上空を飛来する飛行機の爆音が聞こえる。ヒースロー空港がそう遠くないですものね。立ち見席の人たちは、舞台に乗り出さんばかりのかぶりつき。ライブ感がハンパない。大衆演劇の小屋、舞台と観客の関係がそのままここにあった。あのお祭り感もそのまま。見ている人たちの多くがナショナル・シアターのそれとはまるで違った層。その点でも大衆演劇を思わせた。シェイクスピアの時代はこんな興行形態だったんだろうと、シェイクスピア劇の中によく出てくる卑猥なセリフの数々が腑に落ちた。 

意外なことに劇評はそう悪くなかった。代表的だのが「Time Out」の3/5。

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