yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ナショナル・ポートレイト・ギャラリー(National Portrait Gallery)でバイロン、シェリー夫妻に出会う

着いた日はさすが疲れていたと見えて、パディントン駅そばに取ったホテル前のスーパーで、クレジットカードを忘れてしまった。朝、チャリングクロス駅まで来て気がつき、とって返したのだけど、道中最悪を予想して気が滅入った。スーパーでは保管していてくれていた。ほっとしたと同時に、気がぬけた。どっと疲労感が襲ってきた。昼のマチネでワイルドの『ウィンダミア卿夫人の扇』(Lady Windermere's Fan)(1893年)を見る予定にしていたけれど、断念。その代わりNational Portrait Galleryに行ってきた。これは予想外の収穫だった。もう一度行きたいくらい。原則として無料。ただ5ポンドの喜捨を求められる。この日は特別展「レオナルドからレンプラントへ」をやっていて、それは6.5ポンド徴収された。習作やデッサンを集めたもので、あまりよくなかったけど。

ポートレイト・ギャラリーの通常の展示は圧巻だった。すべてを見るのは到底無理なので、せいぜい19世紀から現代の部屋を選んだのだけど、「有名人」を描いたものが多く「あれだ!」っていう感じ。自分のフィールドが文学なので、どうしても文学者に目が行ってしまう。中でも最も印象的だったのがこの三人の肖像画。彼らの肖像として使われているおなじみのもの。それでも現物を見ると、実際の絵画がもたらす感動は違ったものがある。

たしか“Romantic Age”と銘打たれた部屋に、バイロンシェリー、そしてその妻のメアリーの肖像画が鎮座していた。メアリー・シェリーは『フランケンシュタイン』の創造者として夙に有名だけれど、実際は当時の女性のスタンダードからは逸脱した生涯だった。以前に彼女のことを調べたことがあり、予め持っていたイメージと随分違った女性だったのに驚いたもの。実際の絵を見ても、その逸脱ぶりは推し量れないけれど。実際のところ、ぶっ飛びぶりでは二人は「いい勝負」だったらしい。バイロンはさすがの迫力。色男。夫のシェリーはそれに比べると覇気がないように見える。同じ部屋にロマン主義の旗手、ワーズワースのポートレイトもあった。これも教科書等で散々見てきたもの。沈鬱な感じ。彼の詩には違和感があり、好きではない。英文学研究者の多くが「ロマン派」の詩人、それもワーズワースを選ぶ時期があった。大昔の話。彼(女)たちのメッカは湖水地方と相場が決まっていた。今時の学生は興味を示さないでしょうけどね。

時代が遡ると、シャーロット・ブロンテのものもあった。これもテキストでよく見るもの。地下鉄構内に舞台『ジェイン・エア』の宣伝ポスターが。今ロンドンのウェストエンドで公演中。

世紀末だとW.B. イェイツ、D.H. ロレンスなどのものもあった。昨年、遺っていた写真をもとに画家が描いたオスカー・ワイルドとその愛人、ダグラス卿(通称ボジー)のポートレイト画もあった。この二人の複雑な恋愛関係を描いた舞台、『ユダの接吻』を2013年にロンドンで見ているので、旧知に会った感じがした。

そうそう、第一次対戦中の詩人たちのコーナーにルパート・ブルックの写真を見つけた時は、嬉しくて飛び上がらんばかりだった。アメリカのノースカロライナ大学のサマーコースがケンブリッジ大学のキングスカレッジを借りてあり、それに参加したのだけれど、エックスカージョンでブルックが生活した近郊の村へ遠出したことがあったから。戦時中、敗血症を患い病院船中で亡くなった。27歳だった。彼の詩はあの美しい村の景色が背景になっているのだと、一緒に行った人たちみんな感動していた。改めてWikiで確認したところ、その美貌ゆえ、文学界の寵児だったらしい。さらに興味深いことも分かった。以下。

(ルパートは)ヨーロッパを旅する一方で、「ジョン・ウェブスターとエリザベス朝の演劇」という論文を完成させた。この論文で、ブルックは、ケンブリッジのキングズ・カレッジの学位を取得している。キングズ・カレッジでは「ケンブリッジの使徒達」という秘密結社の一員となり、またケンブリッジ大学フェビアン協会(後のケンブリッジ大学労働党クラブ)の議長に選出されている。マーロウ・ソサイティ演劇クラブの設立を手伝い、ケンブリッジ大学ギリシア演劇には俳優として参加している。

去年自宅をリフォームした折、サマースクール後にケンプリッジの書店で手に入れた彼の詩集が出てきた。捨てるに忍びず今も書架にある。