yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

能管奏者、藤田六郎兵衛さんをご存知ですか?

とにかく、かっこいい!豊かな頬っぺたを思いっきり膨らませ、大きな身体を揺らしながら小さな能管を吹かれるんです。その姿だけで、「おお!」って、思わず声が出ます。

今週の月曜日に開かれた「談山能」でも笛を吹かれた。他にも優れた笛奏者はおられるけど、彼の笛の音は別格。私でも聞き分けられるほど。先日の能『杜若』でも、演者登場の前にピィーと音が聞こえた瞬間、身震いがした。「これだ!」って、興奮した。このセッションが素晴らしかったのは、すべてに(文字通り)トップの演者、奏者を揃えていたからでもある。小鼓は大好きな大倉源次郎さん、そしてシテに人間国宝の大槻文蔵さん。大鼓、太鼓、地謡、それぞれがトップの方々。なんという贅沢!「こんな贅沢が許されていいのかしらん」って思いながら見て(聴いて)いた。

そしてその帰り道。談山能公演会場の常夜堂からバス停までの起伏の激しい坂道を「ヒーヒー」言いながら上り下りしていたら、前を大きなスーツケースを引きながら歩いておられる六郎兵衛さんが。急な階段もなんのその、軽々とスーツケースを抱えて登って行かれた。唖然とした。てっきり車で帰られるものだと思っていたので。バスも、近鉄も同じ道程だった。彼は名古屋へ帰られたはず。そういえば、先日の「篠山春日能」の折にも篠山駅に向かうバスに乗っておられて、驚いた。その時も大きなスーツケースを持っておられたっけ。とても親近感を覚えた。

談山能公演の後、ちょっとした懇親会のようなものがあり、そこで六郎兵衛さんが挨拶された。談山能を仕切られた大倉源次郎さんのご先祖と彼の先祖は、400年前共に演奏したという記録が残っているので、彼とは長い因縁で結ばれているというようなお話だった。この辺りのことが確認できる六郎兵衛さんの「所信表明」文書を今日読んだ。そこに認めてあった彼の能存続への強い思いを、しっかりと受け止めた。それと同時に、能をもっと広めるにはどうすればいいのか、微力ながら真剣に考えるようになった。

歌舞伎には松竹というパトロンがあるけれど、能にはそういうエージェントはいない。変な縛りがないのは良い点でもあるのだけど、興行として見た場合、なかなか収支が合わないだろう。悩ましいところ。六郎兵衛さんの文書には、能存続への模索と能の将来に対する危機感が行間ににじみ出ていて、なんとかして応援、支援したいという気持ちが募る。

大量消費の真逆を行く能とその興行。それでも、否それだから、何としても遺さなければならない日本を代表する文芸なんですよね。フランスなどのように国をあげて能存続の方針、方策を打ち出すべき。それをしないなら、「文化大国」が泣く。

Youtubeで検索用語に「藤田六郎兵衛」と打ち込めば、いっぱい彼の演奏が出てくる。ただし純正(?)能舞台でなく、コラボがほとんど。そんな中で、能を一部組み込んだのが赤松禎英さん(仕舞)と小町文仁さん(シンセ)とのコラボ。すごく素敵です。いわゆる西洋音階を持たない能管。それを吹きこなして、様々な楽器、奏者とコラボする。能管がここまで能力、可能性を持つ楽器とは知らなかった。圧巻!その本の一部をアップしておく。それぞれ、youtubeとリンクしている。

藤田六郎兵衛「君への想い」能管、竹の音の響き 名古屋市民会館 [2007.6.28]

藤田六郎兵衛 能管のヒシギの響く「万丈」「藤田六郎兵衛コンサート」第二部より能管と現代楽器との競演 サントリーホール [2008.5.13]