yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

ピアニスト福間洸太朗が伴奏した羽生結弦選手の「バラード第1番」

 『Number PLUS 2019-2020シーズン総集編号』にピアニストの福間洸太朗が再演された『バラード第1番』について語った記事(石井宏美著)がアップされている。

number.bunshun.jp

 

羽生結弦選手と福間洸太朗さんとのコラボに、まず驚いた。以下の箇所。

2015年に行われた「Fantasy on Ice」で、羽生と『バラード第1番』でサプライズコラボレーションを披露した福間は、2016年の同アイスショーでも、羽生本人は怪我のため不在だったが、当時のSP世界最高得点を更新した2015年グランプリファイナルの映像に合わせて『バラード第1番』を演奏した。熱烈なスケートファンとしても知られている。

羽生選手が福間版の『バラード第1番』を選んだのはわかる気がする。羽生選手が外国人作曲家の曲で演技をする場合、曲との親和性が最重要課題だろうから。福間版が最も抵抗なくすんなりと入り込める「バラード1番」だったのではないだろうか。勝負の場は海外、選ぶ曲もほとんどが海外のものという違和感に満ち満ちた競争の場において、最高峰を目指すには自身のアイデンティティに拘わった曲を選ばない限り無理である。それをわかっていたのだろう、羽生選手は。この知性と感性の卓越に脱帽である。また、同じ日本人として感涙でもある。

上記『Number PLUS 2019-2020シーズン総集編号』記事に、ピアニスト福間洸太朗が語る羽生結弦さんの卓越度を語っていて、こちらにも感激した。さすが芸術家、非常に的確に羽生結弦選手のすばらしさを捉えておられる。一部を引用させていただく。

福間の眼に四大陸選手権はどう映った?

 そんな彼の眼には、今回の四大陸選手権の『バラード第1番』はどう映ったのだろうか。

 冒頭の4回転サルコウ、4回転トウループ―3回転トウループのコンビネーションジャンプにはGOE 4点を超える高い評価が付くなど、技術点では唯一の60点台をたたき出し、111.82点の世界最高記録でSP首位に立った。

 技術点もさることながら、芸術性や表現性などを示す演技構成点でも圧倒していた。

 

「手の使い方はもちろん、(体の)動きも全体的にとても滑らかで、洗練されていると思いました。どの瞬間を切り取っても、全く不安要素はありませんでしたし、まるで1つの芸術作品を見ているかのようでした」

 羽生はこの『バラード第1番』の冒頭で「静」を表現したのち、6拍子のメロディが始まると、ゆっくりと滑りだす。ピアノの美しい旋律に合わせるように、ジャンプやスピンを行い、まるで鍵盤の上を跳ねるかのように華麗なステップを踏んでいく。

 体力が消耗した終盤に曲のテンポが急に上がるが、激しいステップとあいまって、演技の盛り上がりは一気に頂点へ達する。ラストはコンビネーションスピンの後、両手を広げた決めポーズを見せた。

ピアノソロのクラシックは難しい。

 福間の言うように、まったく不安要素は見当たらなかった。むしろ、経験を積み重ねてにじみ出てくる味わいが感じられた。

「経験を重ねることで、表現においてはプログラムに深みやにじみ出てくるものがあります。葛藤しながら、いろいろなことを試しながら、それによって自分が追求するものも見えてくるでしょう。今、さらに説得力も出てきているのではないでしょうか。

『バラード第1番』のようなピアノソロのクラシックは、ビートが一定ではないので、スケーターの方々は、奏者の呼吸や癖を全体的に体に叩き込まなければ自分のものにできないですし、ビートが一定の曲(たとえばポップス系)よりも難しいと思うんです。バラード系で、テンポが一定しない楽曲を高いクオリティで自分の型にはめ、さらに音をしっかりと表現できているのは、羽生選手ならではの素晴らしさです」

 

表情・指先からショパンの苦悩が伝わる。

『バラード第1番』は生涯に作曲したもののほとんどがピアノ曲だった、天才作曲家フレデリック・ショパンの初期の代表作だ。

 1810年にポーランドで誕生したショパンは、20歳の頃、当時、政治情勢が不安定だった母国から逃れ、西ヨーロッパへ活動を広げた。その直後、故郷ワルシャワで暴動が起こり、ウィーンにいたショパンは多大な不安や憤り、悲しみに明け暮れた。

「実は祖国を出て最初に滞在したウィーンでも反ポーランド精神が芽生えていて、ショパンは思ったような活動ができないばかりか孤立してしまいました。その後、ポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィッチの詩にインスピレーションを得て、『バラ―ド』第1番~4番を書いたといわれています。

 どの詩を『バラード第1番』に当てはめたかは確証されていないんですが、ミツキェヴィッチもロシア領内に追放されるなどの経験をしながらも、ポーランドの独立を願い、民族蜂起の思想に影響を与え、ショパン同様パリに移り住んだので、祖国愛、望郷の念など共感する点も大きかったと思います。そうした切迫感や追い詰められた人間の感情のようなものが、この『バラード第1番』に盛り込まれているような気がします」。

 果たして、羽生がどこまで『バラード第1番』が作られた背景を理解しているのかは分からない。しかし、彼の“2分50秒”を見る限り、1つ1つのエレメンツ、表情、指先に至るまでの動きからは、ショパンの「苦悩」や激動の人生が伝わってくるような気がする。

 もはや羽生結弦の代名詞といっても過言ではない『バラード第1番』。

 果たして、今後、どんな「顔」を見せてくれるのだろうか――。

芸術家が芸術家の心理に共振する。それはミツキェヴィッチの詩に共振したショパン、そしてショパンに共振して演奏する福間洸太朗さん、これら先行する芸術家のパフォーマンスに共振し、その想いを自らのパフォーマンスに結晶させる羽生結弦選手。私たちはこれら芸術家の集積の結実としての羽生選手の演技を見ることができる幸せな時間、空間にいるのですね。改めて感謝!

元の記事を訂正しました。「羽生結弦選手は四大陸選手権のSP曲「ショパンバラード1番」の演奏者をクリスチャン・ツィマーマンのものから福間洸太朗演奏のものへと変更している」というのは、私の誤解で演奏者は元のままのようだった。コメント欄にご指摘をいただきました。ありがとうございます。