yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

観世清和師シテの『葛城』in「京都観世会1月例会」@京都観世会館 1月10日

この日の演者は以下。

シテ 葛城山の女  観世清和

   葛城明神 

ワキ 旅の山伏   福王茂十郎

ツレ 山伏     是川正彦

   山伏     中村宜成

アイ 里人     松本 薫

 

小鼓  大倉源次郎

大鼓  河村 大

太鼓  前川光長

笛   杉 市和

 

後見  林宗一郎 杉浦豊彦 

地謡  河村和晃 大江泰正 深野貴彦 橋本光史

    分林道治 浦田保浩 井上裕久 河村晴道

概要を例によって銕仙会の『能楽事典』よりお借りする。

葛城山を訪れた山伏の一行(ワキ・ワキツレ)が折からの大雪に難渋していると、そこへこの山に住む女性(前シテ)が現れる。女は一行を自宅へと案内し、この山で採れた小枝で焚き火をする。この小枝は“楚樹(しもと)”と呼ばれ、神代より伝わる大和舞(やまとまい)の歌にも謡われた、この山にゆかりの品なのであった。やがて女は、身の苦しみを救ってほしいと告げると、姿を消してしまう。実は彼女こそ、いにしえ役行者に縛り上げられてしまった女神・葛城明神の化身なのであった。
その夜、山伏たちが祈っていると、葛城明神(後シテ)が真の姿を現した。今なお苦しみを受け続け、すっかり面やつれした女神であったが、天岩戸の昔を再現し、大和舞を舞いはじめる。しかしやがて暁どき、女神は醜いわが姿を恥じると、再び消えてゆくのだった。

シテが醜い女神という設定。これにまず驚かされる。橋を架ける作業をサボったとして役行者にぐるぐる巻きにして谷底に打ち捨ててしまった葛城明神。実は自身の醜さを恥じて夜にしか作業をしなかったからで、サボったわけではない。明神が醜女という設定に、まず驚かされる。あまりにも人間的というか俗的。これは舞台と観客を結ぶ工夫の一つなのかもしれない。

舞も自分の醜さを恥じて扇で顔を隠す仕草があり、見ている側は切なくなってしまう。観世清和師の所作はその恥じる様を繊細に表現しておられた。やがてその恥ずかしさを打ちはらうかのように、見事な「大和舞」を披露する場面は、真に迫っていた。

後場、舞台の作り物の中での着替え。後見のお二人が主となって手伝われたのだけれど、かなり神経を使っておられたのがわかった。私の席が中正面ということもあり、着替えの手伝いをされる後見の杉浦師と林師の緊迫した表情がよく見えて、感動してしまった。シテ一人の力というよりも、それを支える人たちが一丸となって「創り上げる」という作業。他の演劇ではここまでの臨場感を持って迫ってくることはない。これも能ならではの「工夫」(theatrical devices)の一つといえるかもしれない。 

嬉しかったのは、久しぶりで大倉源次郎師の小鼓が聴けたこと。最初の一声で源次郎師とわかる素晴らしい声と鼓音。しみじみと好かった。