yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

三部作「ウィズイン・ザ・ゴールデン・アワー / メデューサ / フライト・パターン Within the Golden Hour / Medusa / Flight Pattern in「英国ロイヤル・バレエ・シネマ 2018-2019」@TOHOシネマズ西宮 6月30日

公式サイトをリンクしておく。

tohotowa.co.jp

最後の「フライト・パターン」は宅急便が届くので端折って退出。とりあえず振付のクリスタル・パイトのインタビューは聞いた。来週木曜日まで上映があるので出直してもいいのだけれど、そこまでの食指は動かなかった。難民を扱ったかなり政治的な作品のよう。彼女はカナダ人なのだけれど、欧米人がこういうテーマを演劇にすると、どこか嘘臭さがつきまとう気がする。直截的表現体を採ると、芸術として評価するのは難しくなる。一応本国の(ROH上演5月)舞台批評にあたってみると、The Guardian、Independent両誌は高評価。ただ三部すべてをまとめて評しているので、通り一遍。こういう三部構成をとった理由というか意味を掘り下げてはいなかった。

私も倣って「通り一遍」の評を。「ウィズイン・ザ・ゴールデン・アワー / メデューサ」の二部についての公式サイトからの情報が以下。

  • 『ウィズイン・ザ・ゴールデン・アワー』

【振付】クリストファー・ウィールドン
【音楽】エツィオ・ボッソ、アントニオ・ヴィヴァルディ
【衣装】ジャスパー・コンラン
【指揮】ジョナサン・ロー
【出演】

ベアトリス・スティクス=ブルネル、フランチェスカ・ヘイワード、サラ・ラム、ワディム・ムンタギロフ、ヴァレンティノ・ズケッテイ、アレクサンダー・キャンベルハナ・グレンネル、金子扶生、マヤラ・マグリ、アナ=ローズ・オサリヴァン、アクリ瑠嘉、デヴィッド・ドネリー、テオ・ドゥブレイル、カルヴィン・リチャードソン

  • 『メデューサ』 

【振付】シディ・ラルビ・シェルカウイ
【音楽】ヘンリー・パーセル
【電子音楽】オルガ・ヴォイチェホヴスカ
【衣装】オリヴィア・ポンプ
【指揮】アンドリュー・グリフィス
【出演】

メデューサ:ナタリア・オシポワ
アテナ:オリヴィア・カウリー
ペルセウス:マシュー・ボール
ポセイドン:平野亮一

(ソプラノ)エイリッシュ・タイナン
(カウンターテノール)ティム・ミード
(ヴィオラ・ダ・ガンバ)市瀬礼子
(テオルボ)トビー・カー

「ウィズイン・ザ・ゴールデン・アワー」は今までに見たことのない趣向。所作にペイガニズムが横溢しているのはバレエ・リュスを思わせる。ただ、バレエ・リュスのようにペイガニズムが異化作用を及ぼすというのではなく、あくまでもスムースな流線が途切れることはない。異様な所作はそのまますんなりと流れに収まっている。肉体とその動きがそのまま芸となり、問答無用の芸の頂点を描出する。これは、身体性が芸術に結実するというバレエの神髄を表象していた?それって、何も疑うことのなかったバレエの黄金期そのもの?

サラ・ラム、ワディム・ムンタギロフが特に優れていたけれど、他のダンサーたちも今まで私が見てきた踊り手の中では抜きん出て優れた人たち。顔が小さく足が長いという典型的バレエダンサーの条件を満たしていた。アジア系がいなくて、ホッとした。

そして「メデューサ」。インタビューワーが言っていたように、現代の神話が展開する。バレエの黄金期はすでに過去になった。何をもってバレエが芸術として成立する根拠にするか?思い至ったのは、神話世界に求めるというもの。ストーリー展開に依るのではなく、もっとアレゴリカルな世界、いわば元型のようなものをバレエの存在意義に求めている?シディ・ラルビ・シェルカウイの振り付けはそれを強く意識していたと思う。 

演者の中で特筆すべきはもちろんメデューサ役のナタリア・オシポワとアテナ役のオリヴィア・カウリー。男性陣ではペルセウス役のマシュー・ボールとポセイドン役の平野亮一。オシポアが素晴らしいのは周知の事実ではあるけれど、日本人ダンサーがここまでハイレベルなのに驚愕した。男性であることも関係しているのかもしれない。ほんとうに初めて日本人ダンサーがすばらしいと認識した。そういえば、昨年お世話になったロンドン大学のK先生が平野さんを褒めていたんだった。これから注視させていただきたい素敵な踊り手です、平野さんは。

また、振付担当のシディ・ラルビ・シェルカウイ氏の繊細な振付兼演出が文句なしにすばらしい。「攻撃者メデューサ」という従来の図式ではなく、その来歴を検証するところから始まるのがユニーク。怪物メデューサを寿ぐような結末のつけ方にも共感を覚える。素敵な小作品。 

この三部作が、バレエのヒストリーというか、歴史的葛藤のサマをたどる意欲的作品であるのは事実である。ただ、最終章が政治問題を扱った作品というオチのつけ方に、いささか抵抗がある。あまりにもお花畑的すぎて。あまりにも幼なすぎて。 

とはいうものの、本来なら最終章まで見てから、ロイヤル・バレエの新時代に向けての「宣言」に言及すべきなのかもしれないんですけれどね。ご容赦!