梅若玄祥から梅若実へ
梅若実師が梅若玄祥からこの隠居名を襲われたのはごく最近。お祖父様も最後は「梅若実」だった。お父上(五十五世梅若六郎師)には亡くなられてから追贈された。重みのある名。それを纏っての『西行桜』。実師の強い意思を感じた。
老桜の精がシテ
実師の強靭な謡
世阿弥作の三番目もの。西行が主人公(シテ)ではなく、老桜の精がシテ。作り物の祠から出てくるときにも、老人であることが示される。でも弱々しくてはいけない。軸がしっかりとしている必要がある。さすが実師、座っている様子に、また作り物の祠を立ち出でるさまには老いは見えても衰えは窺えない。勁さが歴然としている。それに何よりもあの謡!「嫋嫋としている」って以前に表現したことがあるのだけれど(最近他の方もこう表現されているのを知って、「やっぱり」と思った)、まさに、たゆとい、ゆらぐ微妙な音色の音楽のようである。と同時に、侮れないしたたかな強靭を気取ってしまう。唸りながら聴いていた。さすがだと思った。私の好みとしては、お父上の六郎師の『松虫』でのキレの良さが上にくるのではあるけれど。実師はお父上よりもお祖父様に似ておられるよう。鋭さよりもゆったり感で舞台を包み込む。これはこれで、なんともいえないほっこり感ではあるのだけれど、見る側は。
演者一覧
では、当日の演者一覧を以下に。
シテ 老桜の精 梅若実
ワキ 西行法師 福王茂十郎
ワキツレ 花見客 福王和幸、福王知登、喜多雅人、中村宜成
アイ 能力 善竹隆平後見 赤松禎友、武富康之
小鼓 林吉兵衛
大鼓 河村大
太鼓 前川光長
笛 赤井啓三地謡 浦田親良、笠田祐樹、大槻裕一、寺澤幸祐
浦田保親、上田拓司、大槻文蔵、山崎正道
地謡に失望
失望したのが地謡。混合メンバーであるからか、揃っていなかった。音を外す人や語尾を伸ばしすぎる人がいて、かなり耳障りだった。京都観世ではこういう経験はない。一人一人が完璧を目指す志の高さが常に感じられる。それが京都観世。この大槻の地謡には志の低さを感じてしまう。かなり厳しいかもしれないけれど、それが本音。大槻文蔵師の指揮がうまく機能していなかったのだろう。今後の課題だと思う。神戸の能公演から足が遠のくのも、こういうところに原因がある。お囃子がこれほど揃っているのだから、それに見合う地謡であるべき。
演能前のレクチャー
もう一つ苦言を呈すれば、中西進氏の演能前のレクチャーがひどかった。まず声が聞き取りづらい。アーティキュレーションができていない。一人で悦に入っておられて、観客が理解しているか、楽しんでいるかには思いがおよんでおられなかった。教師(以前は教師だったのだから)だと、こういう意識を常に持っているはずなのに、それが感じられなかった。独りよがりの講釈を聞かされたという不満が残った。大槻能楽堂主催のシリーズでは必ず前講義がつくのだけれど、これは一考の余地あり。今まで3回聴いたけれど、どれも凡庸だった。いっそ無くしては?