yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

渡邊守章師の解説付き、能「鵺」 in「能と狂言」@京都芸術劇場 春秋座1月29日

企画と監修は渡邊守章氏。数年前からこの時期にこの企画が進行中らしい。私は初めて。渡邊守章氏の『繻子の靴』をこの春秋座で先月見たばかり。といっても全4日という長〜い芝居の半分のところで、体調が悪く頓挫した。口惜しかったのが、それまでの3日間を覆してしまう「奇想天外」な舞台だという第4日目を見逃したこと。以下、この日の能、「鵺」に関連する情報。狂言については別稿にする。

プレトーク:渡邊守章(演出家、京都造形芸術大学客員教授)
      天野文雄(能楽研究、京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長)


能  「鵺」
前シテ舟人 観世銕之丞
後シテ鵺  
ワキ旅僧  森常好
アイ里人  石田幸雄
地謡    観世淳夫 味方玄 大江信行 上野朝義 分林道治 柴田稔  

大鼓    亀井広忠  
小鼓    大倉源次郎
太鼓    前川光範
笛     藤田六郎兵衛

後見    河村博重  青木道喜

最も感激したのがプレトークの渡邊守章氏の西洋演劇畑の彼らしい比較分析、解釈。

渡邊守章氏が能、歌舞伎に造詣が深いのは公演にさかのぼること二ヶ月の彼と木ノ下歌舞伎の木下裕一氏との対談で確認していた。何といってもあの観世寿夫さんの友人ですものね。だからこの企画と監修が彼であるのは驚かない。でも実際に見てみると、「あぁ、こう来るか!」っていうところがいくつかあった。

とはいうものの、能の演じ方そのものにはタッチできないだろうから、舞台の造りに工夫があった。。春秋座の舞台はもちろんのこと能、狂言を演じる舞台ではない。広すぎる。それを舞台を一回り小さくした面積上に4本の柱を立てて、それをそれぞれ笛柱、ワキ柱、角柱、そしてシテ柱に見立てていた。去年大劇場の大きな舞台で見た能はこれがなく、広い舞台に役者が飲み込まれているような感じがしたので、この工夫はさすが。

鏡板(背景の松)はグレイッシュなスクリーンに。「橋掛り」はどうなるんだろうと思っていたら、なんと、歌舞伎用の花道が設置されていた。舞台下手であるのは同じ。ただ、花道横の客席は排されていて、より能舞台の見所に似せて設営されていた。この花道の橋掛りは当然ながらその前には一の松、二の松、三の松という松はない。橋掛りを通って来る演者が、どこで客席を見るのかといえば、なんと花道七三のところなんですよ。これ、七三は舞台にかなり近い。そこまで、能舞台よりもずっと長い花道を通って来た演者が、客を見る。緊張感のクライマックス度が、長い花道のおかげでより高まる。この工夫が面白かった。

この前日に「綾鼓」を見た大槻能楽堂といやでも比較してしまう。春秋座の舞台は、当然のことながら純然たる「能舞台」ではない。でもそれを逆手にとっていた。西洋の舞台とのインテグレーションを図っているように思えた。フランス演劇の舞台が背後に透けて見えていた。能が抱え持つ伝統を一旦エポケー、違った空間に置いて見る。そこに何かそれまで見ていたのとは違った光景が、「異化」とまでは行かなくても見慣れない光景が出現する。それを狙った? 能公演を能楽堂でやれないのはマイナスではあるけれど、それを逆にプラスに変えていた。

こういう試みを生かすにはなんといっても演者が重要。シテは七代観世銕之丞(雅雪)の長男観世寿夫さんの甥に当たられる観世銕之丞さん。私の席は二階席だったのだけど、上から見ても小さくない。背が高いので、存在感がある。それに力強い舞と足さばき。前シテも後シテも男(?)なので、力強さは必須だろう。でも荒々しいというよりも凛とした感じ。気品がある。ここでシテは鵺のみならず、彼を殺した源頼政も演じる。頼政の詠んだ歌、「ほととぎす 名をも雲井にあぐるかな」が挿入されるが、この歌を詠む歌人の優雅さを出さなくてはならない。

一等素晴らしかったのが、頼政に討ち取られ、最後には「空舟」に押し込められ海に流される鵺の哀しみを描きつつ、鵺の崇高さを描いていたところ。長い花道の引っ込み、歌舞伎ならここの引っ込みは「榮ある」もの。この花道を行く過程で、鵺は単に悲劇の主人公であるというより、それを超える「榮ある」存在になっている。この長い花道が有効に使われたところ。

渡邊氏の解説によると、鵺は鬼にも通じる象徴的なもの。「鬼」は共同体の穢れを背負わされて居場所を追放される存在だが、それがこの能の鵺とが重なるという解釈。これは「鬼の研究」で馬場あき子さんが唱えておられたことでもある。

しかも、そこにはもっと深い意味合いもあると渡邊氏はいう。世阿弥はここに能の創始者、秦河勝の異形な最期も重ねていたのだと。彼が観世寿夫の「鵺」の舞台で確認したのは、「秦河勝神話には存在していた『祟る神』の『異形な力』も奪われている『呪われた怨霊』の、悲痛な最期の視線を、観客も共有するという、他の『鬼の能』や『怨霊物』では遂にしたことのない体験」だったという。

心が震えた。芸能者の叫びがこだましている気がした。