yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

初仕舞奉納「桜川」@八坂神社能舞台1月3日

観世流 「桜川」
仕舞  片山九郎右衛門
地謡  味方玄 片山伸吾 分林道治 梅田嘉宏

以下、「能.com」からの演目解説

母の窮状を救おうと自ら遊女となった桜子。その桜子を訪ねて旅に出た母。狂女となった母は、川面に散る桜の花びらを網で掬い、狂う有様を見せていた。住職がわけを聞くと、母は別れた子、桜子に縁のある花を粗末に出来ないと語る。そして落花に誘われるように、桜子への想いを募らせて狂乱の極みとなる。

シテが舞うのはこの母の狂乱の舞。

片山九郎右衛門氏の舞を初めて見た。あの京舞井上流四世井上八千代さんのお孫さん。お姉さまは五世井上八千代。お父上は能楽観世流の九世片山九郎右衛門という、人間国宝だらけというものすごいお家柄。なんせ京舞と観世流との交わったところに立っておられるんですから。観世流能の所作はそのままなんだろう。でもこちらが勝手にあの抑えに抑えた京舞の振りを重ねて見てしまう。非常に抑制の効いた舞。

予備知識がなくて、この日見たのだけれど、それでも卓越さは際立っていた。派手な舞ではない。でも折り目正しく、その品格の高さが匂い立つ。京都のご出身だとわかるはんなり感。大柄ではなく、しかも色白でおられるので(仕舞なので直面)、なんだか可愛らしい(失礼!)。この方が登場した時、近くの方達からジワが起きていた。納得。もっと見たいと思っている。

追記
ここまで書いてきて、九郎右衛門氏の舞台を見たことがあることに気づいた。海老蔵の「『源氏物語』歌舞伎xオペラx能楽」の舞台でだった。2014年4月京都南座での公演。当ブログ記事にもしている。その第二幕の「能楽との競演」の中。この「歌舞伎xオペラx能楽」試みに少なからず失望したのは、西洋音楽とのコラボ部分があまりにも唐突だったから。使った歌手も二流。なんの工夫もなかった。ただくっつけただけ。「源氏」を侮辱された気がした。あまりに呆れ、腹が立ったので、肝心の第二幕での能楽との絡みの記憶が飛んでしまっている。海老蔵と日本文学の最高峰たる「源氏」とはおよそそぐわない。能においておや。九郎右衛門氏の舞はその駄作の舞台に添えられた一輪の花だったのではないか。もったいない。口惜しい。