yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

通し狂言『柳影澤蛍火(やなぎかげさわのほたるび)柳澤騒動』@歌舞伎座7月26日千秋楽

十日前の観劇。PCをホテルに持ち込まなかったので、観劇の感激度が上手く表現できなくて残念。とりあえず、松竹サイトからの引用。

宇野信夫 作・演出
織田紘二 補綴・演出

本所菊川町浪宅より
駒込六義園庭園まで


<配役>
柳澤吉保:海老蔵
護持院隆光:猿之助
茶道千阿弥:市川右近
犬役人久保勘兵衛:男女蔵
成瀬金吾:亀三郎
篠原数馬:九團次
おさめの方:尾上右近
侍医順庵:寿猿
お伝の方 :笑三郎
曽根権太夫:猿弥
奥方松江:笑也
犬役人酒井万蔵:市蔵
柳澤弥左衛門:家橘
徳川綱吉:中車
桂昌院:東蔵


<みどころ>
天下を狙い止まらない野望と陰謀
 五代将軍徳川綱吉の時代。浪人柳澤弥太郎は、生類憐みの令に背いた父親を役人に惨殺され、不条理な世に激しい怒りを覚えます。父親の友人である曽根権太夫が綱吉の生母桂昌院と幼馴染であったことから、綱吉の近習となった弥太郎は、次第に強い出世欲をつのらせていきます。美貌と明敏さで綱吉と桂昌院のお気に入りとなった弥太郎は、桂昌院の寵愛を二分する護持院隆光と憎みあい、互いに出世を競い合うなか、綱吉の一字を与えられ吉保と名を改めるまでに出世をしていきます。さらなる出世のために吉保は、自身の許婚のおさめを綱吉の側室へと上げ、その地位を堅固なものにしていきます。やがておさめの方が懐妊すると、吉保はその子を世継に擁立しようと画策し、もうひとりの側室お伝の方を策略により追い落とします。さまざまな悪事を重ねのし上がって行く吉保ですが…。
 実在の人物を主人公に、浪人が老中にまで出世する姿を鮮烈に描いた新歌舞伎を歌舞伎座で初めて上演いたします。

宇野信夫の脚本は起承転結の展開が実にドラマチック。だからそれの補綴をした織田紘二もやり易すかったに違いない。メリハリがしっかりとしているので、演出もやり易い。政治と人の情との絡み、それをうまく利用することで老中にまで駆け上がっていった元浪人の成り上り物語。もちろん彼が駆け上がったその跡には累々と屍が積み上がっていた。綱吉という太平の世が生み出した奇人。その歪んだ情の持ち主である奇人の奇癖に乗じて(つけ込んで)、情を殺した冷徹な頭脳で勝負したこれまた奇人の吉保。この二人のモンスターの間で「取引される」コマでしかない桂昌院を始めとする人たち。勝負は初めからついている。

どんな人間も、それが徳川の世の上層部を構成するような者でも、やはり人間は人間。そこには情がついてまわる。いくらそれを端折ろうとしても、そこをなくすことはできない。だからこそ、非情の権化である吉保のようなモンスターが全てを飲み込んで行くことができた。彼の計算通りに天下乗っ取りが運んだ。

この狂言が歌舞伎っぽくないのは、吉保がなぜこういう人間になったのかを「説明する」序があったところ。「生類憐みの令」によって理不尽にも父が殺されたという設定。歌舞伎だとこういう理を無視してしまうことが多い。悪人は初めから悪人。だからこそ歌舞伎の「悪の過激、過剰」は何か恐ろしくもおぞましい。でもこの狂言では、吉保に同情すべきところがあったという設定になっている。情のかけらもないモンスターの吉保にもかっては情があったわけで、これは近代的な作劇法だろう。

だから桂昌院、護持院、権太夫等の人物もどこか近代的。つまり心の「内面」の葛藤が見えるように設定されている。というわけで(?)吉保がついに情がらみの最期を迎えるのを見ると、「一件落着」と納得してしまう。理不尽さがなく、すっきりと了解できる。吉保も生身の人間だったんだと。

元の脚本にあったのか、あるいは付け足されたものなのかは定かではないのだけど、吉保と寄り添ったおさめが最期にする告白。吉保が自分の子だと思っていた綱吉との間の子供の実の父が綱吉だったと明かす。これを付け足すことで、近代劇の様相がより濃くなっている。

劇中、『マクベス』を思わせる箇所がいくつかあった。近代劇的だというのは西洋演劇的だという意味でもある。

海老蔵の吉保は冷徹さの中に、どこかそれに徹しきれない情を感じさせるところが良かった。今まで彼が演じた「悪」とは随分違った人物。人物造型が大変だったと思われるけど、あっぱれ。

お気楽トンボの男色家という設定を思いっきり楽しんでいた(であろう)中車の綱吉。こちらは彼のニンそのまま。

桂昌院役の東蔵がとても良かった。年増の色っぽさとそれと裏表になった「気味悪さ」を見事に描いていた。

おそめ役の尾上右近のカレンだったこと。その可憐な娘が政争の道具にされ、それでも最後に一矢報いるっていうの、彼の骨太さがなくては上手く立ち上がってこなかっただろう。

歌舞伎役者にとっては、今までのものとは毛色の異なった狂言。それをここまでの完成度まで持っていくのは、さすが!