リヒヤルト・シュトラウス作のオペラ。つい先だってのNY、メトロポリタン歌劇場での公演の録画。いつものごとく演目、プロダクションの紹介がオペラ歌手からなされる。今回はルネ・フレミングだった。このプロダクションがパトリス・シェローの手になるものだという紹介。かなり前衛的なプロダクションであることが分かった。シェローはすでに故人(2013年没)。また、主役のエレクトラ役のニーナ・ステンメと指揮者のエサ=ベッカ・サロネンへの簡単なインタビューがあった。MET総裁のゲルブ氏がインタビュワー。これ、いつも楽しい。ゲルブさんのオペラへのかぎりない愛が感じられるから。
神戸の国際松竹劇場でみたのだけど、簡単なチラシが配布されるのみ。で、ネットで検索をかけた。するとCurzon Cinema, Mayfairでこれを観た人の詳しいレビューがあった。リンクしておく。当然ながら指揮者、演者への高い評価。
プロダクション
Production.................Patrice Chéreau
Set Designer...............Richard Peduzzi
Costume Designer...........Caroline de Vivaise
Lighting Designer..........Dominique Bruguière
Stage Director.............Vincent Huguet
TV Director................Gary HalvorsonConductor..................Esa-Pekka Salonen
配役
Elektra....................Nina Stemme
Chrysothemis...............Adrianne Pieczonka
Klytämnestra...............Waltraud Meier
Orest......................Eric Owens
Aegisth....................Burkhard Ulrich
Overseer...................Susan Neves
Serving Woman..............Bonita Hyman
Serving Woman..............Maya Lahyani
Serving Woman..............Andrea Hill
Serving Woman..............Claudia Waite
Serving Woman..............Roberta Alexander
Confidant..................Susan Neves
Trainbearer................Andrea Hill
Young Servant..............Mark Schowalter
Old Servant................James Courtney
Guardian...................Kevin Short
チラシでその前衛さがある程度予測できていた。その写真が以下。
本番も休憩なしの1時間57分だったようで、ニーナ自身、「覚悟してやってるのよ」と言っていた。前衛といえば、この1月に観たMETライブビューイングの『ルル』も大概だったけど、こちらの『エレクトラ』は違った意味でしんどかった!演じる歌手たち、とくにエレクトラ役、オレスト役、クリソテミス役、そして彼らの母のクリテムネストラ役たちは、肉体的だけでなく、精神的にものすごい荷重を強いられたと想像できる。とにかく、キツイ!そのひとことに尽きる。精神分析的アプローチが満載の作品。演者も自身の親との葛藤・確執との対峙が必然で、その意味で実につらいだろう。
あのユングの唱えた「エレクトラコンプレックス」のもとになったギリシア悲劇のオペラ化。「エレクトラコンプレックス」はフロイトの「エディプスコンプレックス」の女児版といえるかもしれない。もっともフロイト自身は「エレクトラコンプレックス」を「エディプスコンプレックス」に包括していたようだけど。
もとになったソフォクレス作の『エレクトラ』についての概説(背景とあらすじ)がWikiにあるので、借用させていただく。
背景
王であるアガメムノーンがトロイア戦争から帰還し、側女としてカッサンドラーを連れて帰ってきた。アガメムノーンの妻クリュタイムネーストラーは夫のいとこであるアイギストスを恋人としており、アガメムノーンを殺害する。クリュタイムネーストラーは戦争がはじまる前にアガメムノーンが娘のイーピゲネイアを神々の命に応じて生け贄として殺したため、その復讐として夫殺しは正当であると信じていた。アガメムノーンとクリュタイムネーストラーの娘エレクトラはまだ小さい弟オレステースを母の手から救い、フォキスのストロフィオスのところに預ける。この芝居は、大人の男性となったオレステースが復讐を行い、王位を要求するつもりで数年後に帰ってくるところからはじまる。あらすじ
トロイア戦争から帰還したアガメムノンは妻のクリュタイムネストラとその情夫アイギストスによって暗殺された。劇は暗殺されたアガメムノンの墓前にアガメムノンの遺児オレステスが現れるところから始まる。オレステスは従者に、デルフォイの神託所でアポロンから授けられた策を説明し、二人はそれを実行に向かう。オレステスが退場するのに代わってエレクトラが登場。アガメムノンの死やオレステスの不在を嘆く。そこにエレクトラの妹クリュソテミスや母クリュタイムネストラが現れる。エレクトラと彼女らが口論したのち、使者がオレステスが競技中に事故死したとの知らせを持ってくる。知らせを聞いたクリュタイムネストラやクリュソテミスは勝ち誇りながらその場を去る。残されたエレクトラが嘆いていると、そこにオレステスが現れ、先の知らせがアポロンの策による偽報なのだと説明する。
策を知らされたエレクトラはオレステスと協力してクリュタイムネストラを殺害。さらに偽報を聞いてやってきたアイギストスも捕らえて屋敷の中に引き立てていく。コロスが二人の勝利を称えながら劇は終わる。
人間の業をこれほどまでにえぐりとった文学が紀元前5世紀のギリシア悲劇であるというのだけでも驚きだけど、それが後世の文学作品として派生してゆくのもさらなる驚きである。
こういう背景は西欧文化圏ではごく当たり前のごとく承知されているので、あらたまった説明は不要なのだろうけど、われわれのように違った文化圏のものにとっては、改めて「学習」しなくてはならない背景ではある。英文科の学生だったときに、ユージン・オニールの『喪服の似合うエレクトラ』(Mourning Becomes Electra)を読んで、強い衝撃を受けたのを思い出す。エディプスコンプレックスが「父殺し」に帰結するのに対し、エレクトラの方は「母殺し」。ずっと母との確執に悩んでいた当時の私は、なにか知ってはいけないタブーに触れてしまったような後ろめたさを感じた。その後もなんども「母殺し」をする羽目になるのだけど、その度に傷つくのは自分自身だった。このオペラを観ながら、何度も身につまされる瞬間があった。
まるで牢獄を思わせる暗いセットの中ですべてが終始する。このセットは人間の心の闇を表象しているもの。暗闇の中に光はささない。その中を懊悩しながらのたうち回るエレクトラ役のニーナ(ソプラノ)。着ている服はまるで囚人服。憔悴しきっている。ニーナ・ステンメはそれを全身で表現していた。重苦しくせまってくる彼女の苦悩。それに対し母のクリュタイムネストラ(クリテムネストラ)は慈母のよう。ヴァルトラウト・マイヤーはメゾソプラノ。美しく装い、なんとかエレクトラを宥めようとする。凛とした風情の彼女は、ハムレットの母、ガートルードのように「性愛」に目がくらんで夫を殺したのではないのが、伝わってくる。侍女たちはクリテムネストラの側についていて、エレクトラを蔑み、虚仮にする。こちらの軽さ(強いて言えば明るさ)とエレクトラの重さ(暗さ)との対比がみごとだった。
そこに避難先から帰国したオレステス(オレスト)。エレクトラと共謀して母とその愛人を討つ。オレステス役のエリック・オーエンはバスに近いバリトン。テナーではない。ある程度年齢が行っていることを示したのだろう。この方、すばらしい美声。柔らかく包み込むような声がエレクトラを慰める。
オペラ歌手が役者並みか、それ以上の演技力があることにヨーロッパやアメリカのオペラを観る度に驚かされるけど、今回のもまさにそう。この不条理劇的な演出に応えての演技、すばらしいのひとこと。エレクトラ役のニーナが際立つよう、他の人物の表情はあくまでも抑え気味。それがアブストラクト度を否が応でも高めている。
一昨年の12月にベルリンのシラー劇場で観たヤナーチェクの『死者の家より』の演出を連想させられた。あのときのカーテンコールもすごかったけれど、このMET公演でのカーテンコールもすごかった。拍手の嵐。この作品を「理解」し絶賛する人たちがニューヨークにいることに感動。