yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

真紅組番外公演『ハイ・ライフ』@シアトリカル應典院1月30日午後2時の部

ここ何年かに観た小劇場系演劇の中では、文句なしにいちばん。原作者はカナダの劇作家(兼俳優)のリー・マクドゥーガル[Lee MacDougall]。1996 年の初演以来、いくつもの賞を獲得している。NY、シカゴ、ロンドン、東京、ソウルでも上演されているという。かなりぶっそうな内容ということもあって(?)、劇場名でみるかぎり、いずれもオフの劇場。

劇団からの本公演キャッチフレーズは以下。

四人のジャンキーの「銀行強盗」計画
2016年の真紅組公演の第1弾は・・・
初めての本格的洋物芝居を、初の男性座組みで、シアトリカル應典院に初登場!
その名も


以下はプロダクション詳細。

脚本 リー・マクドゥーガル
翻訳 吉原豊司
演出 諏訪誠

キャスト
Dick 永督朗 (劇団明朗会計)
Bug 木所亮介 (WAC/宇宙ビール)
Donny 久家順平 (舞夢プロ)
Billy 成瀬トモヒロ(ナルセケ)

吉原豊司氏の翻訳のすばらしさ。このプロダクションが成功した最大の所以がそこある。翻訳劇は難しい。理由は、英語のレトリックと日本語のそれとの間のギャップ。もうひとつは台詞の不自然さ。(英語の)リーズニングをする際のことばの過大な量を、そのまま訳して日本語にすると、日本語として受け入れられないものになる。これを思い知らされたのは、昨年9月に梅芸で観た『夜への長い旅路』。当記事に「翻訳調が払拭できない台詞回し」にうんざりしたと書いたが、翻訳劇ではたいていはうんざりする。例外は小田島雄志訳のシェイクスピア劇くらい。『ハイライフ』の翻訳者の吉原豊司氏は、第9回「湯浅芳子賞」を取っている。当然だと思う。

原作者のリー・マクドゥーガルの写真が以下。


ネット検索した彼の略歴、及び『ハイライフ』についての概説をそれぞれにリンクしておく。

ジャン・ジュネのようにマクドゥーガルが犯罪者だったり、ジャンキーだったりしたわけではなさそう。芝居のあまりにものリアリティに、この略歴を読むまで実際の体験に基づいているのかと思ったほど、真に迫っていたから。そういう人物たちと接触するのに、かなり苦労したよう。

そしてこの芝居!幕前に中年女性から一口説あるのだけど、そこから期待が高まる。会場と舞台を繋げる重要な役割。あと、劇中で主人公のディックから彼女が保護司だと分る。

役者の四人、それぞれ別の劇団からだったと分った。互いの絡みから発せられる化学反応の凄まじさ、テンションの高さ、「そうだったんだ」と納得できた。死闘だったんですね。それぞれの「役者」をかけての。このテンションの高さを2時間維持し続けるんですから、役者としての力がいかほど高いものか。四人全員ですよ。見ている方も必死で、全身全霊で見なくてはいけない。それを要求されているような舞台。

ジャンキーの「銀行強盗」計画。発案者のディックが急遽かきあつめたジャンキーたちは彼の思惑通り動かない。それぞれの思惑、個性が強烈に前に出てくる。それがもめごとに発展する。ディックの仲裁が効くのは初めだけ。やがてそれぞれが一人歩きし始め、それが殺人事件に。そして計画は完全に頓挫。

一人消えてしまい、もう一人はグループから外れる。残った首謀者のディックとバグの二人は次の強盗計画を計画しようとしている。でもおそらくはそれも似たような結果になるだろう。この二人はゲイの関係かも。そういえば他の二人もゲイだった?

舞台の騒々しさ。ことばが洪水のように発せられる。それぞれの人物の自己肯定と自己賛美の嵐。そして互いへの侮蔑のことばと揶揄する行動。過剰につぐ過剰。この過剰さを調整、コントロールしようとするディックの手には負えなくなっている。でも諦められないディック。結局失敗するのに、またもや次の計画を練る。なにかの欲動にかられているかのよう。「死への欲動」といっていいのかも。そういえば、他の人物もそれぞれに死への欲動に突き動かされていた。「社会からの落ちこぼれ、ジャンキーだから、奴らの最期は目に見えている」なんて傍観者的な態度で、この芝居を見終えることが、果たしてできるのか。