yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

二人芝居『いつのまにか、ちがう野原を歩いてる』ソロ・プロジェクト【ジューマーク】の5週年記念公演@梅田OZC GALLERY(大阪造形センター3階) 8月30日午後1時の部

以下劇団のサイトから収録した情報。

劇団赤鬼所属の女優・田川徳子さんが「わからないことをわかるようになりたい!」と始めたソロ・プロジェクト【ジューマーク】の5週年記念公演!

共演に同じく劇団赤鬼の同期女優・山田結子さんを迎え、PM/飛ぶ教室の蟷螂襲さんが作演出を手がける書きおろし作品、テーマはずばり友情です。ふと気がつくと、人生いろいろあるよね!と思わせるようなアラサー女性ふたりの物語。おふたりの息の合った演技もみどころです♪

楽しかったし、面白かった。70分の二人芝居、時間が経つのを忘れていた。それに途中でなんどもしんみりした。脚本も良かったし、なによりも役者が良かった。とくに田川徳子さん。

いわゆる「小劇場」系の芝居と思って観に行ったのだけど、いい意味ではぐらかされた。小劇場系芝居特有のヘンな凝り方は一切なく、ごく自然なモノローグ劇に近いダイアローグ劇。等身大の人物が日常的に経験するなんてことのない出来事を軸に回る。ただし会話劇なので、瞬間瞬間の人物の思い(つき)、連想、あるいは彼らが目前でみる事物、事象によって、軸はズレ、脱線しつつ展開して行く。その脱線も彼らの過去を顕すもの、暴き出すものである。その時、俄然その場の空気が濃くなる。インテンシブな思いはさりげなく語られても、重い。

この劇の場合、32歳という(微妙な)年齢の二人の女性のそれぞれの過去へのそして現在への関わり方におもわず引込まれてしまう。とくに千帆という女性のそれに。もう片方の女性、津々の悩みが「妊娠」と「恋人との別離」というある意味具体的な事件であるのに対し、千帆の方のそれはもっと漠然としている。もうそんなには若くない女性。その女性が人生の目的といったような「生産的」な意図をもたずに生きていることへの漠然とした不安が語られる。その繊細な内面が、土手をジョギングする年上のカッコいい女性への憧れといったところに示唆されている。男性へとなびくことを潔しとしない抵抗感といったものも随所に垣間見える。といいつつも分かりあえる男、親しい関係になれる男を求める気持ちもある。その曖昧な心理をこの脚本はみごとに描出していて、秀逸!脚本はおそらく女性の手になるものだと思われる。前の女性客は途中で涙をぬぐっていた。私もなんどもシンミリした。

男性がこの劇に感情移入するのが難しいのではないかと思う理由の一つは、これが女性の孤独をテーマにしているから。男性だって孤独なのは分かる。でもその質は微妙に違うんですよね。千帆が津々に、津々の別れた恋人に会いに東京に行くように勧めるとき、それがはっきりする。津々の孤独はやがて恋人によって癒されるだろう。でも千帆のそれはもっと厄介である。具体的な何かによっては癒されない、そういう孤独だから。こういう曖昧さがまさに女性的だという所以。彼女は自分で自分のそういう在り方、ある種の必然を(それが女性独自の内面から来ていることを)持て余しているのだ。

二人の服装も良い。おそらくお二人とも普段着だったのだろう。Tシャツに綿パン。オフィスレディの服装ではない。二人の職業が何なのかを示す文言はなかったのだけど、都会的洗練とはかけ離れた、まるで学生のようなその服装がそれぞれの立ち位置を明確に示している。なによりも千帆が立ち上がって、カバンを肩からかける動作がイイ!ボーイッシュでカワイイ。上野樹里さんに似ておられたので、余計そう感じたのかも。突っ張っているようでいて、それに男の子的な側面を出していながらも、とても繊細な内面の女の子(「女」ではない)なのだ。この役はかなりご本人に近い気がした。まさしく等身大の役。

Google検索をかけたところ、この「劇団赤鬼」は「1995年に神戸大学の演劇サークル「はちの巣座」OB・OGによって旗揚げされたとあった。「はちの巣座」は佐々木蔵之介を輩出している。「発汗エンターテインメント」をキャッチコピーにしているらしい。道理で小劇場系演劇ではなかったはず。小難しい、理屈っぽさは一切なく、エンターテインメント性に拘ったお芝居だった。キャッチコピー通りだった。

以下チラシの表と裏。


劇団ブログはここにリンクしておく。