yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『バルチュス展』京都市美術館8月29日

京都の西大谷に祖父の墓参に行った。お盆のときに行かなかった代わりである。毎年お盆の前に行っていたのに、今年は行きそびれてしまった。盆の混雑ほどではなかったのは助かったのだけど、大谷本廟は清水寺に近いので外国人を含む観光客の人並みがものすごい。いつもそれにうんざりする。

帰りに時間があったので『バルチュス展』に行ってきた。展覧会は9月7日までなので、なんとか滑り込みセーフ。こちらはそれほどの混雑ではなかった。ずっと以前に『バルチュス展』をこの京都でみたけど、そのときとは展示作品が大分違っていた。何枚かは見覚えがあったのだが、それもひょっとしたらアメリカのメトロポリタンでみたものと混同しているのかも。かなり印象が違った。

以前観たときにあの独特の構図に「衝撃」を受けたけど、今回は「予測していた」ので、「あぁ、あれか」という程度。以前の展覧会ではバルチュスの独自の人物構図に特別に焦点を合わせていたのかもしれない。抽象度がかなり高かった。今回の展示は初期の油絵作品を始めとする彼の修行時代のものも多く、具象画もかなり入っていた。「へぇー、バルチュスもこんな普通の絵を描いていたんだ」なんて思った。

「少女」に対する彼の拘りというかフェティシズムは、そういう作品群をまとめて見た以前にはかなりショックだったし、見てはいけないものを見てしまったという窃視的な興奮をかき立てられた。でも今回はそれを作品の製作史の中に埋め込んでみれたので、納得できた。彼にとってはある必然だったのだと察せられたから。そういえばルイス・キャロルの「アリス」を描いた作品もあったっけ。

ただ、彼が猫をこれほど多く描いているのは以前には気づかなかった。「少女と猫」は彼のお気に入りのモチーフだったよう。かなりの頻度でこの組み合わせが描かれていた。少女もそうなんだけど、その猫がちっとも可愛くないんですよね。どちらかというと「強面の」、ときには化け猫に近い猫なのである。彼が日本の「鍋島化け猫騒動」のような猫にまつわる怪談話を聞いたら、さぞ喜んだだろうと思う。たぶん夫人から聞いていただろうけど。少女と猫とに共通性を見いだしていたのだろう。それは「カワイイ」で括られてしまうこの二つの象徴、イコンがそら恐ろしい深淵をのぞかせていることを、彼が本能的に知っていたからだと思う。その魔力的な魅力を描こうとしたのだと思う。

バルチュスがエミリー・ブロンテの『嵐が丘』に傾倒し、挿絵を描いていたことは初耳だった。若かりし頃のバルチュスは貧しく、恋人との恋愛は思う様には行かなかった。自身をヒースクリッフ、相手の女性をキャサリンになぞらえて何枚も挿絵を描いていた。ネット検索をかけたところ、そのコレクションを載せているサイトに出くわしたので、リンクしておく。

このサイトの一部を引用すると、「挿し絵は18点で習作や素描が29点ほどある。この挿し絵は未完成で 出版は実現しなかったが一部が1935年に雑誌『ル・ミノトール』に発表され 1936年にはロンドンで展示された。出版が実現されるのは1989年にフランス語版 そして1993年の英語版まで待たねばならなかった。原画は後にマルセル・デュシャンが夫人に購入させている」とのことである。あのデュシャンが惚れ込んだんですよね。なんとなく分かります。ヒースクリッフの悪魔的なパッションと自分の心情とを同化させたのだろう。この挿絵から、後にいくつかの作品が生まれているのも興味深い。

バルチュスは抑えても抑えきれないマグマのような欲動を手なずけるのに、かなり苦労しただろう。絵を描くという行為はまさにそれにあたる。若い頃の彼の写真も展示されていたけど、なんとも「痛ましい」感じ。もがき苦しんでいるサマが滲み出ていた。彼の絵の「抽象化」はそういう欲動を手なずけるための一つの方法だったのではないか。

印象的だった作品を公式サイトから何点か以下に引用させていただく。

《美しい日々》

《地中海の猫》

《朱色の机と日本の女》

これなんて、まさに「怪談」的。