yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)』壽初春歌舞伎@大阪松竹座1月16日夜の部

以下、「歌舞伎美人」からの「配役」と「みどころ」。

<配役>

守山辰次    片岡 愛之助
平井九市郎   市川 中車
平井才次郎   中村 壱太郎
吾妻屋亭主清兵衛片岡 松之助
平井市郎右衛門 嵐 橘三郎
粟津の奥方   市川 笑也
僧良観     坂東 秀調


<みどころ>
◆職人上がりの侍が知恵を振り絞って逃げる!異色の敵討ちの結末は…
 泰平の世の粟津城中。殿様や家老の刀を研いだのが縁で町人から侍に取り立てられた研屋の辰次がいます。上役に媚びたりお追従を並べたてる辰次に朋輩の侍たちは我慢を堪えていましたが、聡明な家老、平井市郎右衛門は余りに鼻持ちならないので、皆の前で辰次を激しく罵倒し去っていきます。悔しくてならない辰次は意地とばかりに市郎右衛門の帰城を狙い、だまし討ちに。そこへ、平井の長男九市郎と次男の才次郎が駆けつけてきますが、敵討ちを恐れる辰次は逃げ去り、九市郎と才次郎は敵討ちの旅に出るのでした。
それから3年が経ち、ついに兄弟は辰次を捕えますが…。
 江戸時代の武家社会で美徳とされた敵討ちを近代的な視点で捉え直した斬新な作品です。

『研辰の討たれ』は2012年2月3日に大阪の松竹座で観ている。染五郎が辰次を、愛之助が九一郎を、獅童が才次郎を演じた。そのときのものを当ブログの記事にしているので、リンクしておく。

今回は辰次役の愛之助。その追従のいやらしさ、ボロが出ているのに得意満面な能天気ぶりの演技は、染五郎を超えていた。こういう「オモロイ」系芝居は、愛之助の得意とするところですものね。顔の筋肉の動かしかた、これひとつで辰次の人となりが雄弁に立ち上がる。繊細とは反対の極地にいる辰次、案外現代では通用する人物なのかもしれない。その風貌からくる繊細さを、染五郎にはいやでも感じ取ってしまう。そこへ行くと、愛之助の方は安心して見ていられた。

勘三郎の『野田版研辰の討たれ』は、シネマ歌舞伎になったのを観ているが、愛之助の研辰は彼に近いかも。勘三郎とは違い、上方(大阪?)版『研辰の討たれ』になってはいたけど。上方版とはいえ、しつこさ、くどさ、重さはない。どこまでも軽い。

染五郎辰次は同輩が彼に向ける嫌悪感と敵意が、その理由が「理解」できていた。攻撃して来る相手の「弱み」を判っていた。判るだけの繊細さを持っていた。さらには染五郎版は「職人」が出世したことへのある種の「引け目」のようなものを、纏っていた。

愛之助の辰次は、染五郎のそれに比べるとあくまでも明るいし軽い。敵意や嫌悪を彼に対して持つ人間の「弱さ」なんて、考えたこともないし、興味もない。そんな辰次だった。あくまでもお気楽。だから結果が予想できるような「だまし討ち」を、あとさきも考えずに決行できた。

となると、愛之助辰次は、勘三郎や染五郎版辰次への「アンチテーゼ」だったのかもしれない。勘三郎や染五郎版辰次はまだ近代的造型の範囲内。愛之助辰次、その能天気さでは近代的理解を超えて、まさにシュール。あえていうならポストモダン的。近代人特有の悩みとは無縁。深く内省したりはしない。だって無駄ですから。そんな辰次なので、仇討ちにobsessed された人間の深刻さには思い至らず、ただただ命が惜しいので右往左往。さむらいの価値観とは天と地ほどもの違い。

このポストモダン的な辰次解釈が活きるのが、最終の場。仇討ちを果たせず去っていった兄弟。その姿をみて安堵したその直後に、戻って来た兄弟に討たれる。そのときの「こんな筈ではなかった」といったフウの最期は、その「能天気」の到達点であり仕上げでもある。空虚な人間の空虚な死。

その空虚がいかほどのものか、中車、壱太郎の演技、とくに表情に顕れていた。空虚、空虚、空虚、ただ空虚。二人の虚しさに溢れた表情。すばらしかった。染五郎版を超えていた。

その「空虚」があるから、人は芝居を観にゆくのかもしれない。