yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

泉鏡花と『雨月物語』、そして三島由紀夫

『高野聖』についての当ブログ記事に、この作品に『雨月物語』との近似性を感じると書いた。それがずっと気になっていた。ネットで検索をかけてみると、私の漠然とした印象はそう的外れではなかったよう。鏡花が戯作にどっぷりと漬かっていたのは、その文体からも想像できるけれど、それ以上に精神とでもいうべきものに共振するものがあるように思う。とはいっても、上田秋成のものと最もそれが強い。もっとも、上田秋成を「戯作」にカテゴライズするにはちょっと無理があるかもしれないけど。

なんて考えながらさらに検索していくと、「泉鏡花と上田秋成--「雨月物語」が鏡花文学に影響を与えたことに関する一考察」なんて論文に出くわした。昭和女子大学の1960年に出た紀要論文。ただこれは国会図書館サイトにログインしないと読めない。それ以外にもいくつかの考察が出てきた。興味深かった。私の専門ではないし、今ちょっと余裕がないけど、いずれ確認したい。

三島由紀夫が上田秋成に「惚れ込んで」いたのは有名な話だけど、ここで『高野聖』、『雨月物語』、そして三島が玉三郎を媒介として繋がったように感じた。今回の一連の玉三郎プロデュースの鏡花作品のシネマ歌舞伎化。映画のイントロダクション映像で、玉三郎は鏡花へのなみなみならない強い拘りを語っている。そこにちらつくのはやっぱり三島の影。三島の最晩年の戯曲が『椿説弓張月』で、もちろんそれは馬琴のそれを下敷きにしてはいるのだけど、『雨月物語』中の『白峯』もモチーフとして浮かび上がってくる。そして三島の『椿説弓張月』で白縫姫を演じたのが当時の玉三郎だったのは、あまりにも有名。

三島がそこまで手を拡げていたかどうかは定かではないのだけれど、秋成が『雨月物語』、『春雨物語』の下敷きにしたのは中国のいわゆる白話小説とよばれる怪奇もの。鏡花の『高野聖』にも、その「怪奇」が満ちている。