yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

2015夏季展【特別展】 小林一三ワールド―逸翁の審美眼@逸翁美術館8月8日 

マグノリアサロンコンサートのあと、ホールに隣接する美術館でこの展示をみた。「逸翁」とはもちろん阪急電車の創業者であり「宝塚」の創始者でもある小林一三氏 (1873-1957) のこと。ネットで検索して、彼が関西出身ではなく山梨県出身だと知った。慶応を卒業後、三井銀行に入行。その後、電鉄業を始めた。それが現在の阪急電鉄の前身、「箕面有馬電気軌道」という会社だった。箕面って阪急の所縁の地だったんですね。

実に豪華な展示で、逸翁の美的センスと鑑識眼のたしかさが窺えるものが多かった。以下、宣伝用チラシ。


蕪村やら呉春の絵とともに光悦、仁清の茶器等の重要文化財級の品々。もちろん重要文化財そのものも。そこにエミール・ガレ、それにウェッジウッド等の外国のものも混じっている。逸翁らしいあそびの精神。彼自身が外遊した折に持ち帰ったものが多い。点茶の中で使ったそう。中にが逸翁自身の作品も。「見立て」の趣向で名前をつけていたりするのが、面白い。

中でもおかしかったのが、「与三郎」という桃山時代の茶器。リストには、「志野呼継茶碗、逸翁銘『与三郎』桃山時代」とあった。当時茶碗をわざと割り、いくつかの破片を継ぎ合わせて一つの茶碗にするという「作り方」があったという。つぎはぎなので、当然割れ目が線になって残る。この「与三郎」、いっぱい傷をもっているところから、逸翁が名付けたとか。与三郎の色白の美しい顔とそこにくっきりと付いた傷跡を、たしかに想起させた。こういう「見立て」趣向はここかしこに。逸翁という人が文学、美術にいかに造詣が深かったかがよく分かる。

もうひとつ「あれっ!」と思ったのが大津絵。先日このブログに書いたところだったので、なにか見えない引力のようなものを(勝手に)感じてしまった。リストによると、「大津絵 永楽保全画 江戸時代」とある。実物は小さくて、しかもかなり色調が薄くなっていて、見えづらかった。

もう一種、類逸翁コレクションで興味深かったのが布のコレクション。更紗がとくに好みだったようで、アジアの色々な更紗が展示されていた。それらの布は額のマットに使われたりもしていた。ここにも普通の茶人とは違う逸翁のユニークさが垣間見えた。