yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『歌舞伎十八番の内 矢の根(やのね)』五月花形歌舞伎@明治座5月18日昼の部

「歌舞伎美人」からの「配役」、「みどころ」は以下。

<配役>

曽我五郎 市川 右 近
大薩摩文太夫 中村 亀 鶴
馬士畑右衛門 市川 猿 弥
曽我十郎 市川 笑 也

<みどころ>
 新年を迎えて紅白の梅の花も咲きそろったある日。家の中で矢の根を砥いでいるのは、曽我五郎。そこへ大薩摩文太夫が年始の挨拶にやってきて、宝船を描いた縁起のいい絵を五郎に渡す。これを喜ぶ五郎は、枕に見立てた砥石の下にその宝船の絵を敷くと、初夢を見ようとうたた寝をする。それというのも五郎には、長年抱いてきた父の仇の工藤祐経の首を討つという大願成就があり、その初夢を見たいと思ったからである。
 やがて、夢の中に兄の曽我十郎が現れ、工藤の館で捕まっている自分を助けて欲しいと訴える。夢から覚めた五郎は、兄の念力が通じたものだと悟り、兄の危機を救うため工藤の館へ出かけようと勇み立つ。そこで、通りかかった馬士の畑右衛門に馬を貸してほしいと願い出るのだが…。

 この作品は、享保14(1729)年の正月に江戸中村座で初演され、後に歌舞伎十八番の一つに加えられた荒事狂言です。主人公の曽我五郎は、角前髪に黒鬢、筋隈を取り黒綸子の揚羽折に仁王襷を懸けた勇壮な扮装です。まるで五月人形のような出で立ちの五郎が、大きな矢の根を砥ぐという古風な趣向に面白みがあります。みどころは、随所に現れる五郎の豪快な荒事で、背ギバや柱巻の見得、元禄見得をはじめ馬に乗っての引込みなど、溌剌として力強い五郎の姿に注目です。のどかな風景の中、荒事の豪快さを楽しむことができる明るくて華やかな舞台です。

実はこの3月にも「矢の根」を南座で観て記事にしている。このときのものは浅草七人衆が打ち揃ってのもの。なんと!歌昇が曾我五郎を務めた。ちょっと貫禄不足気味だったのは、仕方ないだろう。まだ20代前半なんですものね。でも悪くなかった。というのも、この五郎は血気にはやる若者だから、若い役者が演じるのは理に適っている。

この明治座での花形歌舞伎でも、宗家の海老蔵ではなく市川右近が五郎を演じた。こちらはもちろん、貫禄十分。右近のニンにぴったりなので、血気にはやる五郎という役回りも違和感がない。この方、最近つくづく上手いと感心するようになった。彼をまとめて見ていたのは、ずっと前、アメリカに行く前だった。もう20年近く前なので、そのころの右近と今の右近では芸のレベルも幅も違っていて当然だろう。ここ2、3年、ちらほらと観てきたのだが、彼をすごいと思ったのは2014年10月、新橋演舞場で観た『俊寛』だった。右近はどちらかというと、「スーパー歌舞伎」の演目より、こういう古典の方が彼らしさをより際立たせることができるのでは。

「矢の根」、いかにも江戸の庶民がよろこびそうな趣向に満ち満ちている。まず、おせち料理を詠み込んだつらね。滑稽味溢れていると同時に洒脱。次は七福神への悪態。私にはよく聴き取れなかったのに、笑いのさざめきが。通の方がいらっしゃったんですね。こういうのがなんともうれしい。最高にオカシイのは、五郎が夢枕に立った兄、十郎を助け出すのに馬に乗って「勇壮」に駈けて行くところ。カッコ良く決めるところが、馬は大根を運ぶ馬士からぶんどった駄馬で、「勇壮」とはほど遠い。しかもその馬を駆け出させるのに大根の鞭を使う。この外し方はやっぱり江戸前。上方とは違うんですよね。

歌舞伎の歌舞伎らしさが、つまり歌舞伎が大衆のものだったというまぎれもないその出自が、こういう趣向からよく判る。ホント、楽しい。