yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

松也と米吉の「歌舞伎十八番の内 鳴神(なるかみ)」三月花形歌舞伎@京都南座3月6日昼の部

以下、「歌舞伎美人」からの「配役」と「みどころ」。

<配役>

鳴神上人   尾上 松也
雲の絶間姫  中村 米吉


<みどころ>
鳴神上人は、朝廷への恨みから、秘法を使い竜神を滝壺に封じ込めてしまいます。それ以来、雨が一滴も降らず、人々は日照り続きに苦しんでいました。そこで朝廷は、宮中第一の美女とうたわれている雲の絶間姫を、上人のもとに遣わします。女性の色香で上人を堕落させ、その隙に竜神を天に飛び去らせ、雨を降らせようと考えたのです。
 高僧が美女の色香に惑い堕落するという物語で、姫に騙されたことを知った上人が怒りに燃える後半は、豪快な荒事芸がみどころです。

去年12月、歌舞伎座で『雷不動北山櫻』中の「鳴神」を雲の絶間姫を玉三郎、鳴神上人を海老蔵という配役でみている。すばらしかった!現在考えうる最高のコンビ。期待に違わず、終始圧倒された。海老蔵は宗家十八番を演じるときにいつも感じる格の高さ、器の大きさをみごとに出していたし、玉三郎は....もうパーフェクトを超えた演技で、お姫様の化身としか見えなかった。この二人が舞台上にいるときは、「時よ止まれ」なんて願っていたほど。

フェアではないと知りつつ、海老蔵/玉三郎のものと比べてしまう。ただ、若い分、フレッシュさが出せるかもしれない、新しい趣向。冒険が呈示されるかもしれないと大いに期待していた。でも松也は声の通りが良くなかった。もっとも大事な上人の「大きさ」の表現が今ひとつだった。病気のお上人さまという感じ。気が入っていなかったのかも。浅草歌舞伎のときはあんなに良かったのに、残念。

米吉はちょっと意地の悪いお姫さまという感じを出していたのが良かった。二重人格的なキャラ作りをしたおかげで、お姫さま像が立体的になった。こういうところ、とてもモダン。新しい趣向。西洋演劇の手法を取り入れたようで、面白い。玉三郎などの女形の先輩役者が演じて来たこの雲の絶間姫。定石通り演じたら、経験が足らない分負けてしまう。だから違ったアプローチをしようとしたのではないだろうか。そういう挑戦は大いにやって欲しい。