時間ができたら行こうと思っていた文芸館にやっと行くことができた。2月末で閉館、そのあとは「与謝野晶子記念館」と名称を改め、「さかい利晶の杜」に移転するそう。
「特別展」と銘打ってのもので、三期に分かれていて、これは第II期。以下がその解説。
与謝野晶子は、歌集『みだれ髪』や「君死にたまふこと勿れ」といった多くの名作を通じ、近代日本を代表する歌人として親しまれています。
晶子が活躍した雑誌「明星」は、詩歌だけでなく美術作品も積極的に紹介する文芸誌として刊行され、当時の文人や画家たちが華々しく活躍しました。
特に「明星」誌上では、藤島武二・中澤弘光・和田英作ら「白馬会」の画家との結びつきは強く、晶子と画家たちの共演は誌上だけにとどまらず、書籍の装幀や掛軸などの作品にも見られます。
また、晶子自身も、絵画や屏風など美しい作品を遺しています。
本展では、「明星」や『みだれ髪』などの書籍をはじめ、約100点を展示し、晶子と画家たちの交流について紹介します。
「明星」の装丁は彼女と鉄幹と親しかった画家たちが担当した。アール・ヌーヴォ調のおしゃれなもので、同時に展示されていたチェコの画家、アルフォンス・ミュシャ(チェコでは「ムハ」だった)のポスターを思わせるものだった。ミュシャが女優、サラ・ベルナールを描いたポスターも、いくつか展示されていた。プラハのミュシャ美術館は2012年に行っているので、懐かしかった。あの世紀末の雰囲気があまり多くはない展示からも窺えた。
晶子はミュシャよりも20歳ばかり若いので、時代はずっと下るけれど、それでも「明星」の装丁絵は共通した時代の退廃感を漂わせていた。晶子の中に倫理よりも官能を優先させるなにか「危険な薫り」があったことが、伝わってきた。鉄幹との生活で日常のなかにどっぷりと浸かった状態でも、彼女の中にはおさえきれない情念がふつふつと燃えていたんだろうナ、なんて感じさせられた。写真からも、なにかただならない感じがする。12月7日生まれというので、勝手に親近感を感じているのだけど、私の中に果たしてそんな激しさがあるんだろうか、なんて考えてしまった。
そういえば川上貞奴ともそう年は違わない。奴の方が7歳上だけど。彼女も明治女の勁さの化身のような女人だった点で、晶子との共通性を強く感じる。女が閉じ込められていた檻を出て、自己主張することを広く喧伝した点も似ている。色んな意味で明治よりもずっと自由を満喫できるはずの現代の日本の女性たちをみたら、彼女たちはなんて言うんだろう。