yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

大学生4割が読書時間「ゼロ」平均は26・9分 

産経新聞のネット記事。

大学生の40・5%が読書にあてる時間をゼロと答えたことが、全国大学生協連(東京)の「学生生活実態調査」で26日、分かった。同項目の調査を始めた平成16年以来、4割を超えるのは初めてで、学生の本離れの実態を裏付ける結果となった。
 調査は昨年秋に実施。全国30大学の学生8930人が回答した。1日の読書時間(電子書籍を含む)は平均26・9分。「0時間」は文系学生で約34%、理系で約44%だった。下宿生の1カ月あたりの書籍購入費は7年連続で減少、過去最低の1820円となった。
 同生協連全国学生委員会の木津谷甫副委員長は、読書時間ゼロが増えた背景について「学生の間でスマートフォンが普及した。ゲームなどのアプリに比べて、読書の優先順位が後退したためではないか」と分析した。

驚かなかった。普段学生に接していると、彼らの実態は手に取るように分かる。まさにこれが実態。課題図書を提示してそれらを読んでからペーパーを書くように指導しても、ほぼ全員が「本を買う金がなかった」、「どこに行けば入手できるのか分からなかった」等々のイイワケをして、結局は紙媒体の資料に当たらず、ネット情報をコピペしてペーパーを提出する。中・高でもそういう指導がなされていないのかもしれない。上のイイワケができないよう大学の図書館を利用するように言っても、今度は「大学の図書館では何を探して良いのかが分からなかった」とか「授業で大学図書館に行く暇(?!)がなかった」とかのイイワケ。バイトで忙しく、大学に滞在する時間が図書館の開館時間と合っていなかったのかと思って、「住んでいる地域の公立図書館に行きなさい」というと、「それらがどこにあるのか分からない」という。もう、なにをかをいわんや!

ついつい、アメリカの大学生と比べてしまう。私のいた大学の図書館(図書館もいくつもあった)は午前2時まで開館していた。夜遅く自分のペーパーの資料を探しに図書館に行くと、かならず私の教えていた日本語クラスの学生に遭遇した。ほとんどが寮生で、図書館でグループ学習をしていたのだ。もう、真剣そのもので、ペーパーの準備をしていた。自分も毎日ペーパーに追われて大変な状況だったけど、それをみるとなにか勇気づけられた。18、19歳の学生がこんなにがんばっているんだから、私もがんばらなくてはと。

翻って日本である。大学生の劣化は目に余る。競争(意識)がほとんどない状況、しかもそれが小学校からの常態なのだから、どうしようもない。好奇心にかられ、止むに止まれぬ欲求に突き動かされて、何かをするということもない。競争もないから人より秀でてやろうという意欲も沸かない。

こういう学生をみていると、日本に果たして未来はあるのだろうかと危惧してしまう。日本の大学の実態はお寒いというより、かなり重体である。学生だけにその責めを負わせるわけには行かないかもしれない。教員もどっこいどっこいということか。20年間、論文一本もかかないで居られるのだから。

恐ろしいことに、こういう環境にいると、どこかでそのぬるま湯に馴染んでいる。戦闘心をなくしてしまっている。辞めることにした理由のひとつが、そういう環境にいる自分を信用できなくなったから。手遅れでないことを祈っている。