yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

猿之助・巳之助の『上州土産百両首』新春浅草歌舞伎@浅草公会堂1月7日

配役は以下。

正太郎:市川 猿之助
牙次郎 :坂東 巳之助
勘次女房おせき:上村 吉 弥
宇兵衛娘おそで:中村 梅 丸
亭主宇兵衛:市川 寿 猿
みぐるみ三次:中村 亀 鶴
金的の与一:市川 男女蔵
隼の勘次:市川 門之助

猿之助、この表現者をひとことで表すなら、「繊細を纏ったシャープさ」だろう。今までみてきた演劇のジャンルでその点で彼に並ぶ人はいない。あえて好敵手をいうなら玉三郎か。どの場面を切りとってもその美が一幅の絵になっている。頭の微妙な傾き、手の表情、そのカタチひとつひとつに彼がイメージしたものが正確に具現化されている。それが天才的なひらめきから出たというより、稽古からきているように思う。ここに一等心を打たれる。その点でも玉三郎との共通点を感じる。

彼の正太郎は、だから、繊細なのだ。繊細すぎるのが難といえば難かも。やくざっぽくない。この正太郎という人物の造型は難しい。男気があって、つまりちょっと荒々しさがあって、それでいて情に脆い面(あえていうなら弱さ)をあわせ持つ。だからこそ落ちこぼれ牙次郎の面倒をみるのだ。その荒々しさはやがて殺人という行為になる。牙次郎のどこまでも変わらない穏やかさと、その激しさは一対をなしている。猿之助の正太郎はこの荒々しさよりも情の脆さの方が際立っていた。『ブロークバック・マウンテン』のイェニスを思い出してしまった。男の友情というより、愛、それも同性愛的愛である。ここのところ、猿之助は細かく計算して演じたのだと思う。悲劇を予想させるには、そういう「設定」の方が活きるから。

三津五郎の長男巳之助が牙次郎だった。長身を持て余しているさまや、くねくねと体を揺するところ、キョロキョロとした目の動きに牙次郎のドジさ、人の良さを巧く出していた。このコンビで、庇護する側とされる側は一目瞭然なのだが、ときとしてそれが入れ替わるオカシサもあり、このコンビネーションは正解だったと思う。二人で客席を回るサービスもあり、浅草の芝居ならではの観客席との一体感を演出する工夫もなされていた。二階席だったからかもしれないが、角度によって巳之助が三津五郎にみえた。

もう一人、良かったのが三次役の亀鶴。この人、本当に上手い。それもさりげなく目立っている。手を抜かない演技なのでそうなる。金的の与一役の男女蔵が正太郎とことばをかわしている際、目の動きの一つ一つに三次の人となりを余すことなく表現していた。男女蔵も実のある掏摸の親分を無理なく演じた。

それにしても、この浅草歌舞伎にこれだけの巧者たちを持って行かれて、新橋演舞場の海老蔵はさぞ困っただろうと、同情してしまった。

『上州土産』、初演が六代目と播磨屋という伝説の組み合わせだった(1933)ことを、筋書に掲載されている大島幸久さんの記事で知った。その後、戦中に二代目小大夫の正太郎、七代目嵐吉三郎の牙次郎で大阪角座で上演され、それを見覚えた藤山寛美が勝新太郎と組んで大阪新歌舞伎座の舞台に乗せた(1960)という。そのテレビ中継をみた三代目猿之助(現猿翁)、それは彼が温めていた企画でもあったので、自身の正太郎、当時勘九郎の牙次郎で歌舞伎座に乘せた(1994)。亀治郎(現猿之助)は2010年「第八回亀治郎の会」(於国立劇場)で初めて正太郎を演じた。牙次郎は福士誠治だった。

筋書で知ったもう一つの興味深い事実。原作者の川村花菱は早稲田の英文科出身で、その後新派に入り翻案ものに筆を振るったいう。Wikiでは日活、松竹で脚本を書いていたとなっている。ともあれ、『上州土産』がオー・ヘンリーの短編を下敷にしたという「不思議」が腑に落ちた。