yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

野口武彦著『江戸の風格』日本経済新聞社、2009年4月刊

野口さんといえば、教育者としては神戸大学で長く教鞭をとられていたことと、研究者としては江戸文学の専門家としてよく知られているが、私にとっては三島由紀夫とつながりのある辛口の文芸評論家としてなじみがあった。

アメリカの大学院にいたころ、江戸文学のクラスをとったことがあり、その折に大学図書館のEast Asian Collection に入っていた彼の著書を何冊か読んだ。彼の江戸関連の批評書を読んだのはその程度なので、今回はじめてその知の領域の広がりが分った気がした。それは一介の「研究者」の枠を超えて、ずっと広がっていて、三島との関係もその延長線上でみると納得することが多かった。

これはめっぽう面白い本である。日経新聞朝刊の連載記事を集めたもので、一つの話題(項目)が見開き2頁におさめられている。「江戸の風光をめぐる」、「江戸の風姿をたずねる」、「江戸の風趣をあじわう」、「江戸の風聞をたどる」の4章に分かれていて、それぞれに20から30の項目が入っている。江戸にまつわるさまざまなトピックを網羅した、いわば文学百科事典の趣を呈している。しかもそのひとつひとつが、昭和12年生まれの江戸っ子である彼自身のヒストリーと重ねられて語られているので、事典にはない親近性が感じられる。この本を読むと、人は生まれた場所、育った場所の地霊のようなものの呪縛からなかなか解き放たれないということが分る。彼も然り。そしてその地霊をむしろおもしろがり、その顕れの様々な形に名をつけ、この世の人たちに知らしめる努力を惜しんでいないところ、あっぱれである。

江戸の風格

江戸の風格

江戸をそれが歴史上に名を表す前の時代、古くは『古事記』のヤマトタケルに始まり、『伊勢物語』の平安、鎌倉を経て江戸へとつながって行く。その江戸も今、この時点、場所から吟味される。つまり江戸を中心にして過去、現在につながる事象が取り上げられているのだ。それぞれに著者のまるで落語のオチのような(といっては失礼だろうか)、うがった、そしてウィッティなコメントがつくので、読んでいてあきない。

どの項目も著者の学識の広さと深さを示しているのだが、私が「あれっ」と思ったのが、「江戸の風趣をあじわう」という章中の「小芝居芸:大歌舞伎の原像」の項だった。まさにタイトル通り、小芝居を江戸の歌舞伎の原像としてとりあげているのだ。1960年代に浅草松屋デパートの6階に「すみだ劇場」という劇場があり、そこを根城にして活動していた「かたばみ座」という小芝居劇団があったという。坂東竹若をはじめとする芸達者が老年にもかかわらず活躍していたのだという。

その例としてあげられていたのが、『盛綱陣屋』で、子役がはらわたをつかみ出して自害するさまが実に真に迫っていたのだそうだ。そういう演出は歌舞伎ではありえない。

もう一例が『馬盥の光秀』で、竹若の演じる光秀が信長から理不尽な苛めをうけ、馬盥から酒を飲ませられるシーンでの竹若の「歯ぎしりで顎が歪み、寄り目になった眼の奥で怨念の炎が青く燃える」さまは、まるで「<顔芸>の無形文化財」だったと著者は評している。おかしいのがその最後の下りである。隣りの席にいた地元の古老が「どうだ、うめえだろう」といわんばかりに得意げな顔をしたそうな。それに頷いている著者の表情もみえるようである。