yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

室内照明とクニエダヤスエさん

今朝ネットの訃報欄をみていて、クニエダヤスエさんが20日に亡くなられていたことを知った。79歳だったという。

ちょっと前に著書の『シンプルに暮らす整理術』(大和書房)と『クニエダヤスエのすてきなひとり暮らし―わたしの時間の楽しみ方』(大和書房)を読んで、整理術がヒントになったし、なによりも照明についてのアドバイスが参考になった。印象的だったのは先立たれたご主人と息子さんの位牌を仏壇にではなく特注の厨子に入れておられることだった。写真があったがコンパクトで美しい厨子だった。

テーブルのレイアウト、コーディネートのコンサルタントをされているとかで、ご自分で使われている食器、テーブルクロス等を写真で紹介されていた。食器は以前は洋食器中心だったのが、年齢を重ねるにつれて和食器、漆塗りの椀、盆などを集められるようになったとのことで、伊万里古伊万里、漆塗りの椀ものの写真も披露されていた。

向田邦子さんも食器の収集をされていて、その写真集も持っているが、お二人の趣向が異なっていて興味深い。向田さんの集めた食器類は彼女自身が評価する通り「ごつごつしていて、どこか懐かしい土の香りのするもの」がほとんどだった。一方クニエダさんのものは、日本にやってきた西欧人が興味をもつような、西洋人の目からみて「美しい」と評価されるような食器のような気がする。彼女の物差しはおそらくそこにあったように思う。

それは彼女が写真家の夫と共に海外で過ごした時間が長かったことが関係しているだろう。晩年になって食生活も和食に傾いたとは述べられていたけれど、写真でみるかぎり洋食が多かったのではないかと思う。パンには一家言おありのようだった。

そもそも彼女の本をなぜ買ったのかというと、キャンドルを初めとする照明の記述に惹かれたからである。彼女がニューヨークで借家探しをしていたとき、どの部屋にも天井灯がないのに気づいたのが照明に興味をもつきっかけになったとのことだった。実際に住んでいる人の部屋をみせてもらって、部屋には間接照明のライトスタンドしかないので、天井の蛍光灯が煌々と灯る日本の室内との違いに衝撃を受けたとのことである。

私自身も同じ経験をした。私が住んでいたような安アパートでは一応天井にライトはついてはいたけれど蛍光灯ではなく、かなり暗めの白熱球のライトで、仕方がないのでテーブルライト、ライトスタンド等を調達してしのいだ。ハウスシェアをした折にも大きな家の個室にはほとんど天井灯はなかった。ダイニングにはペンダントライトがあったけれど。

初めは暗くて困ったけれど、慣れてくると手元あかりのみにした方が落ち着くことが分かった。ハウスメートの一人はよくキャンドルを使っていた。それも日本で売っていないような(今は入手可能のようだけど)きれいな色でいい匂いのするものだった。それで友人に郊外の Crate & Barrelに連れて行ってもらったときに、キャンドルを買い込んだ。それを部屋のところどころに置いてたまに点灯して楽しんだ。

だから日本へ帰ってきてから、蛍光灯の灯り、特に天井灯がなんとも「おしつけがましく」感じられて辟易していた。クニエダさんもそうだったように、間接照明の方が落ち着くようになった。2年前に今のマンションに引っ越した時に、全面改装をして、蛍光灯の天井灯はつれあいの書斎のみとした。リビングにはライティングレールのスポットライトと壁に埋め込んだ間接照明、廊下、ホールはダウンライトにした。今もキッチンからの灯りプラス手元あかりのみの中でこれを書いている。ちょっと暗めだけれど、もう「蛍光灯煌々」には戻れない。

クニエダさんの生活もニューヨーク以来、間接照明が主のものになったとあった。それもご主人も息子さんもニューヨーク生活の影響を受けたのだという。