yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

佐渡裕指揮 オペラ『トスカ』@兵庫芸術文化センターKOBELCO大ホール 7月25日

赤毛もののオペラを日本人キャストで観ることに抵抗があって、この『トスカ』は観る予定には入っていなかった。ところがつれあいがイギリスでの学会発表で行けなくなったとのことで、そのチケットが回って来た。行ってみて、日本人ではないキャストのものもあったことが分った。残念ながら、今日は日本人キャストの方だった。そういうわけで半分仕方なく出かけたので、期待値も低く、あまりフェアな批評でないかもしれない。

見終わったあとの率直な感想として、やはり違和感は残った。とはいうものの、今年1月、NHKのニューイヤーオペラ———これは全編日本人のオペラ歌手によるものだったが———を一部見た折には日本のオペラもここまできたのかと感心ひとしきりだったので、勝手なものなのではあるけれど。

人口に膾炙した演目(とはいうものの、私がこれを生で観たのは初めて)なので筋は省く。メトロポリタンでもらうようなとても綺麗で丁寧なパンフレットが付いてきた。でも以下は芸文センターのサイトから拝借した。

<スタッフ>
【出演】
ダニエレ・アバド(演出)
ボリス・ステッカ(演出補)
ルイジ・ペレゴ(装置・衣裳デザイン)
ヴァレリオ・アルフィエリ(照明デザイン)
ルーカ・スカルツェッラ(映像デザイン)
佐渡裕(指揮、兵庫県立芸術文化センター芸術監督)

<ダブルキャスト>
トスカ スヴェトラ・ヴァシレヴァ 並河寿美
カヴァラドッシ ティアゴ・アランカム 福井敬
スカルピア男爵 グリア・グリムズレイ 斉木健詞

第1幕  聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会
第2幕  ファルネーゼ宮殿
第3幕  聖アンジェロ城    

このサイトでは演出のアバド氏へのインタビュー記事も掲載されていて、とても興味深かった。ちなみにこのアバド氏、指揮者のクラウディオ・アバドさんの息子さんだそうである。その記事は以下である。

今回の舞台装置は、艶やかな黒い床に白亜の回り舞台が置かれ、さらにその周りを巨大な柱が取り囲んでいます。アバドさんによると、プッチーニは劇音楽の最高の作り手であり、音楽を聴けば情景や登場人物の心理状況が映画のようにありありと浮かび上がってくる・・・・・そうして音楽が多くを語ってくれる分、舞台装置はあえてリアルに作りこまず、教会の祭壇をイメージした象徴的なデザインにしたそうです。

衣裳のペレゴさんは、1900年代初頭のフランスのモードを徹底的に研究し、そこに自らののセンスを加えて今回のデザインを作られたそうです。トスカの第1幕の衣裳は、白い装置に映える「赤」をセレクト。この赤色は、カヴァラドッシへの情熱を表しています。

照明のアルフィエリさんは、第1幕の教会のシーンでは柱の間からステージを照らすサイドライトを多用し、強い光ではなく教会らしい暗い光を作った・・・とお話されました。

舞台奥の巨大なスクリーンに映し出される、古い映画のようなモノクロの映像は、映像デザイナーのスカルツェッラさんによるもの。スカルツェッラさんは、各幕の映像の撮影エピソードをお話くださいました。(サンピエトロ大聖堂の彫刻や、ファルネーゼ宮殿の廊下、サンタンジェロ橋の彫刻などを撮影したそうです。)

佐渡監督は、「指揮者や歌手、オーケストラにとって、『トスカ』は憧れのオペラです。プレッシャーもありましたが、大変美しい舞台が完成しました。自信を持ってみなさんにお届けしたいと思います」と、意気込みを熱く語りました。

ワークショップの最後には、1幕のフィナーレの舞台装置・照明効果をデモンストレーション!さらに客席のお客さまに、実際にステージ上で装置や衣裳、小道具を間近に見学していただきました。

今日の席は1階の前から7列目と、今までの芸文センターでの席の中で最も良い席だったので、オペラグラスなしでもよく見えた。アコースティックス的には一番とはいえないかもしれないが。オケ席は見えなかったが、上背のある指揮者の佐渡さんはよく見えたので、舞台と目線を合わせながら観ることができたのが今日の収穫。そういえば佐渡さんの指揮を生で聴くのも初めてだ。大体が芸文での彼の指揮するコンサートは即売り切れなので、手に入ったためしがない。

で、勝手に今日の良かった点をランキングすると、1番は舞台装置と照明。2番はカヴァラドッシの福井敬さん。3番が佐渡さん指揮のオケ。あとは同順列。

舞台装置は斬新で若い感覚が満ちあふれていた。あまりにも前衛的なのでいささか抵抗がある人もいるかもしれないけど。『トスカ』等のオペラ演出は一昔前まではあのゼフィレッリの独断場だったそうである。それは大掛かりなもの、思いっきり派手に作り込んだものだった。彼が監督した映画をおもいうかべれは良い。でも最近はこういう前衛的な舞台装置が好まれているとのことである。どうもメトロポリタンの演出法が時代の「規準」を作るようなのだが、それがゼフィレッリ的誇大な装置を排するようになってきているのだという(パンフから)。となると、松竹の「METライブビューイング」を見逃したのが返す返すも残念ではある。というわけで、8月の東劇での再放映(1ヶ月近くの全演目のロングラン)に行くべきなのかと思案中。

戻って、舞台装置で一番感心したのが第2幕。バックに巨大スクリーン。そこにこの歌劇の舞台となった教会、城などの映像がモノクロで流れ、その全面には9枚の鏡を張り合わせて1枚にした巨大な鏡が30°程度前傾して吊られているというもの。舞台前面かなり高い所に楕円形にしつらえられた床。そこにあるのはテーブル、椅子のみというシンプルさ。これには参った。照明もその極限まで切り詰められた装置を最大限生かすような、きわめてピンポイント的なものだった。
以下はその2幕。

主演者全員によるアンコールへの返礼(日本人以外のキャスト)

客席は満員だった。めずらしく両サイドは年配の男性だった。そういえば周りを見回しても男性客が、それも年配の男性が多かった。バレエや、普通のクラッシックのコンサートと違っていたのが印象的だった。それにしてもその男性陣、なんであんなにセンスが悪いの。まるでユニホームとおもうばかりの画一的服装。ダサイ。西欧の劇場でお目にかかる男性たちとおよそ違う。オシャレッ気がほとんどない。それにひきかえ、女性陣は多種多様。もちろんひどい人もいるけれど、オシャレなマダムも大勢。女性パワーはやっぱりすごい。