yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

佐々木俊尚著『キュレーションの時代』

ひとことでまとめるなら、情報化、グローバル化が加速している今の社会で起きつつあるパラダイムシフト、それもマスから細分化されたグループ(ビオトープ)へと分裂してゆくという社会形態のドラスティックな変化を論じている本です。

その具体例として、音楽、映像界ではiTunesyoutube などの媒体,そしてコミュニケーションツールとしてのブログ、TwitterFacebook が挙げられています。こういう新しいメディアはマスコミュニケーションの担い手だった新聞、テレビ、DVD、CDといった媒体を追い落とし、駆逐し、あるいは再編成して、ますます発展してきているということ、その流れの中でわが世の春を謳歌していたGoogleでさえ取って代わられる可能性があるということを、具体例を挙げながら論じています・

具体例が秀逸です。例えば、ギタリストのジスモンチのコンサートを成功裏に導いた例、孤高の画家ヘンリー・ダーガーの例、その他多くの実例を示すことで、読者が理解しやすいように図られています。それとともになにか暖かい空気が文脈に漂っているような感じがします。これこそまさに「同好の士」を呼びこむ戦略なのでしょう。

そういう再分化したビオトープを作り上げてゆくのがFacebookのような新しいソーシャルメディアだというのです。その中で仲介役を果たすのがキュレーターというわけです。彼・彼女こそが「ノイズの中から情報をとりだし、そこにコンテクストを付与してゆく」のであり、ビオトープの視座に絶えず組み替えられ再編成された情報を提供してゆくのだというのです。

たしかに今起きていることはこのとおりですね。その流れはとめることはできないでしょう。

私が私がもっとも感動したのが、ヘンリー・ダーガーの例です。そうなんですね、佐々木さんは彼をご存知だったのですね。日本ではほとんど知られていないこの数奇な運命をたどって世に出た(とはいえないのかもしれませんが)、その死後になって「評価」された画家、この画家を私が知ったのは精神分析医の斉藤環さんの『戦闘美少女の精神分析』という著書からでした。

佐々木さんの好みがそこにあるとするなら、彼が面白いとおっしゃっている映画、『ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』を観てみたいですし、ジスモンチのギターも聴いてみたい、『彼女が消えた浜辺』というイラン映画も観てみたい。こう思った瞬間から彼が私のキュレーターになったというわけです。もっとも佐々木さんは私がTwitterを始めた当初からフォローしている方ですから、すでのキュレーターだったわけですが。

彼の著作を読むのは2冊目ですが、口語体の文章はとても読みやすく、表現も洗練されています。一読を薦めます。