yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

芝居『お里沢市』(壺坂観音霊験記)伍代孝雄劇団@朝日劇場 1月29日夜

お芝居は『お里沢市』(壺坂観音霊験記)。昨晩の座長の口上でこの狂言は大きな劇場、つまり新開地、朝日の出し物と決めておられるとのことでしたので、期待が高まります。

そして、期待に違わず、すばらしい舞台でした。

第一場 お里・沢市の家
出だしの音曲はもちろん、「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」の義太夫節から。
お里(諒さん)、沢市の家。沢市は三味線の稽古をつけに出ていて留守。三味線の糸屋、炭屋、米屋、それに大家が借金取りにきているが、借金が返せそうもないと分かると、家財道具を持ち出そうとする。屏風の奥に置物があったので持ち上げると、それは雁九郎(座長)というやくざものだった。彼は二人の借金の肩代わりをするといって、自分の巾着を借金取りに渡す。

借金取りたちが帰ったあと、雁九郎はお里に言い寄り、自分のものにならないならば借金を返せと迫る。お里は今晩まで待ってくれと頼む。

雁九郎が帰った後、悩むお里。そこへ沢市(座長の早替り)が帰宅する。かいがいしく世話をするお里。すまながる沢市にお里、「未来までの夫婦じゃわいなぁ」と返す。お里が借金を雁九郎が代わりに払ってくれたと打ち明ける。すると沢市は、お里が夜な夜な出かけるのは、よそに男がいるのではないかと糾す。怒るお里。「わたしゃ腹がたつわいな」と。この部分義太夫の口説きそのまま。お里は沢市の眼が見えるように壺坂の観音さまに三年に渡り願かけをしているとうちあける。バックに義太夫節。お里の台詞も糸に乗って。疑い晴れて沢市、「日本晴れがした」。これも義太夫節に乗って。

お里を疑ったことを恥じた沢市は、自分も観音さまにお詣りをするという。二人が出かけようとした折しも、雁九郎がやってくる足音がする。お里は沢市を納屋に隠す。雁九郎(座長早替り)がやってきて家捜しをしている間に、二人は裏口からこっそりと抜け出す。

第二場 壺坂辻堂の前
二人を追って二人より先に辻堂へやってきた雁九郎。辻堂の中に隠れる。お里に沢市が火の始末をしてきてくれるよう頼むので、お里は家に帰る。沢市は自分が死ねばお里が幸せになれると考え、谷へ身を投げる。

辻堂から雁九郎が出てきてそれを確認する。そしてまたお堂に隠れる。胸騒ぎがして戻ってきたお里。谷底に沢市の死骸を確認し、嘆き悲しむ。あとを追って谷へ身を投げようとすると、雁九郎が出てきて止める。お里を自分のものにしようとするがいうことを聞かないので、斬りかかる。雁九郎を振り切って、お里は谷に身を投げてしまう。

このとき、お堂の鈴の綱がするすると伸びて雁九郎の首に巻き付き、雁九郎を絞め殺してしまう。

第三場 沢の谷底
谷底に横たわる沢市とお里。そのとき声が聞こえてくる。それは観音さまのお告げで、二人は息を吹き返す。驚いたことに、沢市は目が見えるようになっている。お里の信心深さと沢市への愛にうたれた観音さまが二人の命を助け、沢市の目を開けたのである。二人は観音さまに深く感謝する。


義太夫節に乗っての台詞まわし、諒さんは完璧でした。すばらしいのひとことです。上方言葉も完璧でした。義太夫そのままでした。

沢市と雁九郎の二役、そして早替りの演出法、初めて見ました。歌舞伎で『壺坂霊験記』を二度みたことがありますが、これはありませんでした。文楽では数回みていますが、もちろん文楽にもこの演出はありませんでした。とてもおもしろい趣向だと思いました。うがってみれば、雁九郎は沢市のダブルということになり、精神分析的解釈も可能です。

早替りのハイライトは第一場。沢市が家の納屋に隠れると、雁九郎が出てきて家を探しまわり、そして雁九郎が上手に引っ込むと、入れ替わりに納屋に隠れていた沢市が出てきて、今度は仏壇の下の押し入れに隠れる。するとまた雁九郎が出てきて、今度は正面の奥に入り込む。そこへ押し入れから沢市が出てきて、お里と一緒に家を出てゆく。

この数度にわたる早替り、見ている側は楽しいのですが、やっている座長はさぞ大変だったに違いありません。息が切れていました。ご自分でも「体重を減らさなくては」とおっしゃっていました。

ものすごいものを観てしまったという感慨があります。歌舞伎なら稽古もしっかりできるし、なによりも一ヶ月間の公演ですから、納得の行く舞台になって当然ですが(それでも中途半端なものになることもあるわけで)、大衆演劇でここまでやるのか!やれるのか!という感嘆がまず来ます。なんといってよいのやら、日々妥協をしないで舞台を続けている演者のみがこのような難しい演目を可能にすることができるのですね。それが大歌舞伎ではなく、大衆演劇であることに強い共感と賛辞を送りたいです。

とにかく脱帽!

ここで付け足すのはアンチ・クライマックスですが、舞踊ショーのラストについてひとこと。
「安宅の松風」で、いわずとしれた『勧進帳』。三波春夫さんの歌と実際の歌舞伎の『勧進帳』との合成でした。他劇団でも何度か観ましたが、伍代劇団のは少し趣向を変えて(オリジナルの能を意識して?)、もっと様式的でした。衣装も歌舞伎の定番とは違っていました。義経、四天王もほぼおなじシンプルな装束。弁慶のみがかろうじて異なる衣装でした。

それでいて歌舞伎的だったのは弁慶(もちろん座長)のひっこみの飛び六法でした。お芝居の早替りで体力を大分使い果たされた後のこれは、きつかったでしょうね。でもきちんと様式に倣って締められました。