「インターディシプリナリ学会」に提出していたプロポーザルが通ったので、来年3月のプラハ行きが決まった。
この学会はオックスフォード大協賛の学会で、いろいろな部門(文字通りインターディシプリナリ)があり、今年の3月のザルツブルグで開催された「悪 (evil)」部門では黙阿弥の「切られお富」で発表した。今までで最も刺激的な学会だった。人文系のみならず社会科学系の研究者、それも文字通り世界中からのトップの知性が集結したという観があった。それも30分の発表のあとで、30分の質疑応答があるというハードなものだった。非常に親密な雰囲気で、それも普通の学会とは違っていた。普通の学会では発表時間は同程度でも、質疑応答に30分かけるなんてことはないからその分、英語のボロが出なくてすむので英語の非ネイティブスピーカーにはありがたいのだけれど、何か物足らなさがいつも残った。
この学会でもっとも感心したのは、フロアがつたない英語で質問したりする場合でも、聴衆が忍耐強く聴くことだった。アメリカでの大学院生のときに参加したものも含めて主としてアメリカで開催された国際学会で15,6回発表してきたが、こんなことは初めてだった。しかも参加者全員がどこかのセッションの司会をする(しなければならない)ということだった。あらかじめドラフトは入手しているにせよ、3,4人の発表者の発表の要旨を的確にまとめ、質問者の質問を場合によっては分かりやすくパラフレーズしなくてはならないので、大変な負担である。東欧からきた若い研究者、それも英語が流暢とはいえない人たちが必死でそういう役割を努めるのは感動的ですらあった。
来年3月の分は三島由紀夫の『仮面の告白』と『太陽と鉄』をベースに彼のトラウマ(これが今回のプラハでの学会のテーマ)について発表するつもりである。実は種本はすでにある。何を隠そう、私自身の博士論文である。ちょっとチートに近いのかもしれないけど、博士論文の論考とは切り口を変えるつもりなので、いいのではないでしょうか。
同じく、5月開催の「インターディシプリナリ学会」の「Pain (苦痛)」の部門では三島の『サド侯爵夫人』のサド・マゾヒズムをトピックに発表するつもりである。ただし、今からパスするようなプロポーザルを作文しなくてはならない。
ここ2年間は毎年2回の国際学会での発表を自身に課していた。去年は9月には英国のカーディフ大学で『攻殻機動隊』について発表した。その前の年はアメリカの学会で『下妻物語』における少女像についての発表だったので、ここしばらくはポップカルチャー、サブカルチャー関係の発表が続いたことになる。これらはすべて英語の論文にして大学の紀要に出している。今回、そして次回の発表は私の永年にわたるテーマ、「三島由紀夫」への回帰になる。
村上春樹がどういうわけか(世界で)人気である。ノーベル文学賞の候補にもあがるくらいだという。私からみれば「なんで?」なのだ。どうしても三島と比べてしまう。三島は永遠に世界のLiteray Historyに残るだろう。果たして村上春樹もそうなるのか。
私はどう間違っても村上をやろうとは思わない。それなら押井守を選ぶ。いずれにしてもそれは歴史が証明するだろうけど。